New! ちぐさ(菅原孝標女)の生涯をたどる

戦死者よりも多かったのは…奈良時代「巣伏の戦い」蝦夷討伐の失敗から学んだこと

奈良時代
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少し前になりますが、平成20年代(2008~2017年)から地域おこしの一環として、手作り甲冑を制作する団体が増えてきた印象があります。

当初は段ボールなどを使ったいかにも「夏休みの工作」感の否めない出来でしたが、史料文献の研究や創意工夫によって、次第によりクオリティの高い甲冑が世に出回るようになってきました。

しかし、それでも「手作り」である事実を指して「やっぱり甲冑は『本物』でなくちゃ」などと言う声は後を絶ちません。

イメージ

その「本物」とは何か?定義を尋ねると、少なからぬ方が「金属製であること」をその一つに挙げるのですが、本当に「甲冑は金属製だけが本物」なのでしょうか。

実際にはそんな事もなく、往時の武人たちも皮革や和紙などを使ってより軽くて丈夫な、実戦性能の高い甲冑づくりに知恵を絞っていたのでした。

今回はそんなキッカケとなった奈良時代「巣伏(すぶし)の戦い」を紹介したいと思います。

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4倍の兵力差があったのに……

時は延暦8年(789年)5月下旬、現代の岩手県奥州市に当たる陸奥国北上川(衣川~水沢間)を挟んで大和朝廷軍と蝦夷(えみし)の軍勢が対峙しました。

蝦夷の首領(イメージ)

朝廷軍は征東大将軍の紀古佐美(きの こさみ)以下、副将には征東副使・入間広成(いるまの ひろなり)、鎮守府副将軍・池田真枚(いけだの まひら)、同じく安倍猨嶋墨縄(あべのさしまの すみただ)がそれぞれ兵2,000ずつを率いる合計6,000の大軍です。

対する蝦夷らは推定で1,400~1,500名と1/4以下、しかも誰が指揮官かも分からない烏合の衆。恐らく自然発生的に集まってきたのでしょう。

普通に考えれば朝廷軍の圧勝ですが、結果は惨敗。

将軍たちの率いる各軍団同士の意思疎通が上手くいかず、どっちが先に行くの行かないの川を渡るの渡らないのと揉めている内、蝦夷の巨頭であった阿弖流為(アテルイ)・母礼(モレ)らの急襲を受けて大混乱に陥ります。

「早く川を渡らせろ!」

「こら、押すな!」

「うるせぇ、どけ!」

渡河の最中、進むも退くもままならぬまま25名が討ち取られ、負傷者245名。そして1,036名が溺死するという大惨事に。

「「「ガボゴボゴボ……」」」

総金属製の挂甲。斬撃に対する防御力は高そうだが……Wikipediaより(撮影:Yanajin33氏)

当時の甲冑は埴輪(はにわ)にデザインされているような総金属製の挂甲(けいこう/うちかけよろい)がメインで、今日想像されるように重くて動くのが大変でした。まして川を泳ぐなんてまともには出来ません。

それで次々と溺れ死んでいったのですが、必死の思いでどうにか甲冑を脱ぎ捨て、裸で逃げ出した者が1,257名。こうして巣伏の戦いは幕を閉じたのでした。

甲冑は金属製から多用な材質へ

こんな事があって以来、朝廷当局は甲冑の改善を検討。次第に金属部分を減らして機動性も併せ持った短甲(たんこう/みじかよろい)などが増えていきます。

露出部分の多い短甲。Wikipediaより

もちろん露出する部分も保護しなくてはなりませんから、創意工夫して皮革を用いたり、和紙を重ね貼りしたりなど強度を確保しました。

「革なんて、すぐ切れちゃうでしょ?」

「ましてや和紙なんて……」

などと思う方もいるでしょうが、意外に刃は通らないもの(試しに牛乳パックを5~10枚ほど重ねたもの、あるいは半紙を10~20枚ほど糊で貼り合わせたものを包丁で突いても、貫くのは難しいはずです)。

また革の小札(こざね)をつなぎ合わせた中に金属の小札を混ぜるなど、部分的に材質を変えることで攻撃力を分散、工夫次第で防御力と機動性を高められます。

実際に和紙を重ね貼りした上から漆を塗り固めるなど軽量化の工夫がされた甲冑は現存していますし、よく言われる「武士の甲冑は総重量20~30kg」というのは非現実的であることが解るでしょう。

「そうは言っても、現存している甲冑は、少なからず金属製だけど?」

装飾用の金具で彩られた大鎧。春日大社蔵 竹雀虎金物 赤糸威鎧

という声もありますが、それは神社仏閣に奉納したり、貴人に献上したりなどするための永久保存版。一種の記念品であり、実際に着用することは想定していないはずです。

ただし、戦国時代に入って鉄砲(火縄銃)が普及してくると和紙や皮革では防御力に不安があり、胴回りに鉄板を用いた当世具足(とうせいぐそく)も登場しました。

終わりに

結論として甲冑には金属のものもそれ以外の材質のものをあり、いずれも往時の武人たちが必死で生き残るために知恵を絞り出した創意工夫の結果であることは論を俟ちません。

文献史料を元に再現された、手作り甲冑の一例。

甲冑について「本物」の定義は人それぞれですが、21世紀の日本にあって地域おこしのために創意工夫を凝らし、真剣に作り上げられ、着用される甲冑もまた、次世代へ伝承される日本文化の一つと言えるでしょう。

※参考文献:

  • 菊地敬一『北天鬼神 阿弖流為・田村麻呂伝』岩手日報社、1990年6月
  • 笹間良彦ら監修『すぐわかる日本の甲冑・武具 改訂版』東京美術、2012年9月
  • 髙橋崇『人物叢書 坂上田村麻呂』吉川弘文館、1986年7月

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