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【歴人録】龍馬の盟友「饅頭屋」近藤長次郎(こんどう ちょうじろう)とは?【幕末維新】

幕末維新
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はじめに(参照上の注意)

このコーナーでは調べもの等の参考になるよう、史料や文献に基づいてデータをまとめていきます(随時更新)。

史料によって記述が異なる点も原文のまま記載していくことが多いため、あくまで「この文献によると」という意味でご理解ください。

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【近藤長次郎・略伝】

坂本龍馬の盟友として彼の活躍を支えた「饅頭屋」こと近藤長次郎。幼いころから行商で培った経営感覚と向学心で目覚ましく成長を遂げる彼ですが……。

近藤長次郎。個人蔵

ここでは近藤長次郎の生涯や基本データをまとめました。時代劇(大河ドラマなど)の予習復習、調べものなどのご参考にどうぞ。

【近藤長次郎・基本データ】

生没:天保9年(1838年)3月7日生~慶応2年(1866年)1月14日没(29歳)

実名:近藤長次郎春宗

両親:父親不詳(高知城下の饅頭商人)/母親不詳

通称:饅頭屋長次郎

別名:上杉宋次郎・近藤昶次郎・梅花道人

妻妾:お徳(大阪・大和屋弥七の娘)

子女:長男

身分:商人⇒土佐藩士⇒浪士

位階:正五位(死後追贈)

所属:社中(亀山社中)

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【近藤長次郎・略年表】

天保9年(1838年) 誕生(1歳)

父親と同じく饅頭の行商を営む。

河田小龍に入門、のち岩崎弥太郎に師事。

安政6年(1859年) 土佐藩・由比猪内の従僕として江戸に留学(22歳)

安積艮斎に儒学、手塚玄海に洋学、高島秋帆に砲術を学ぶ。

文久2年(1862年) 勝海舟に入門(25歳)

文久3年(1863年) 才能が認められ、土佐藩主・山内容堂に苗字帯刀を許される(26歳)
同年、大和屋弥七の娘・お徳を娶る。

元治元年(1864年) 勝の失脚に伴い土佐を脱藩、長男が誕生(27歳)

元治2年(1865年) 薩摩藩で小松帯刀に仕え、長州藩との連携(薩長同盟)根回しを補佐する(28歳)
この頃、薩摩藩内の脱藩浪士を集めて社中を自称。これが後の亀山社中(海援隊)に。
坂本龍馬とはこの辺りでつるみ始め、諸任務を請け負う。

慶応元年(1865年) イギリス軍艦ユニオン号や洋式銃の購入に尽力する(28歳)

慶応2年(1866年) 社中の規約違反により切腹(29歳)

長崎市にある近藤長次郎の墓(龍馬の揮毫と伝わる)。画像:Wikipedia(Yanajin氏)

切腹の理由は諸説あり、無断で計画したイギリス留学が脱走と見なされたとも言われる。

長次郎の死を知った龍馬は「己が居ったら殺しはせぬのぢゃった(『千里駒後日譚』)」と語った一方、自身の手帳に「術数余りあって至誠足らず。上杉氏の身を亡ぼす所以なり(「坂本龍馬手帖摘要」)」と非難の記述。

明治31年(1898年) 明治政府(皇室)より正五位を追贈(死後32年)

【参考文献】

  • 一坂太郎『司馬遼太郎が描かなかった幕末 松陰・龍馬・晋作の実像』集英社新書、2013年9月
  • 吉村淑甫『龍馬の影を生きた男 近藤長次郎』宮帯出版社、2010年1月

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