日本国では有史以来、各地で合戦が繰り広げられてきました。その中でも最大級の規模となった日本三大合戦をご存じでしょうか。
今回は日本三大合戦の一つ・南北朝時代に勃発した筑後川の戦い(ちくごがわ〜)を紹介したいと思います。
筑後川の戦いとは

時は正平14年/延文4年(1359年)8月29日、懐良親王(かねながしんのう)率いる約40,000の南朝軍(征西将軍府)が、少弐頼尚(しょうに よりひさ)ら率いる約60,000の北朝軍(大宰府軍)と筑後川をはさんで対峙しました。
戦いの結果、南朝軍が北朝軍に勝利し、九州における支配基盤を確立します。
この戦いで南北両軍とも甚大な犠牲を出しており、両軍合計で5,000余から46,000の死傷者が記録されました(史料により異なる)。
これは元寇における日本軍の死傷者36,000〜38,000を上回り、戦闘の激しさを物語ります。
規模の大きさ・犠牲者の多さから日本三大合戦の一つに数えられるようになりました。
筑後川の戦いデータ

- 別名:大保原の戦い、大原合戦など
- 日時:正平14年/延文4年(1359年)8月29日
- 場所:九州筑後川
- 交戦:南朝(征西将軍府) 対 北朝(大宰府軍)
- 結果:南朝の勝利
- 影響:九州の支配権確立
- 戦力:南朝40,000/北朝60,000
- 被害:南朝1,800〜25,000/北朝3,600〜21,000
※『五條家合戦覚書』『大友氏合戦覚書』など
南朝軍の参戦武将
- 懐良親王
- 洞院権大納言
- 北山中将
- 花山院少将
- 菊池武光
- 菊池武信
- 赤星武貫
- 宇都宮貞久
- 草野永幸
- 大野光隆
- 西牟田讃岐守 など
北朝軍の参戦武将
- 少弐頼尚
- 少弐直資
- 少弐頼泰
- 大友氏時
- 城井冬綱
- 松浦党 など
筑後川の戦い・史跡や伝承

南朝軍が陣をしいたと伝わる場所は宮ノ陣(福岡県久留米市)と呼ばれるようになり、宮ノ陣神社には懐良親王が植えられたという梅(将軍梅)が現存しているそうです。
他にも懐良親王が植えられたと伝わる将軍藤(大中臣神社)や、前伏(伏兵)・高見下(敵を見張った高台の下)など、福岡県小郡市には筑後川の戦いにちなんだ地名や史跡があると言います。
また福岡県大刀洗町という地名は、死闘をくぐり抜けた菊池武光が、太刀の血糊を洗った故事にちなんで名づけられました。
また江戸時代に頼山陽(らい さんよう)が詩を詠んだことも知られています。
近くを訪れる機会に恵まれたら、立ち寄ってみたいですね。
終わりに

今回は日本三大合戦の一つである筑後川の戦いを紹介しました。
ちなみに他の二つは戦国時代に勃発した川中島の戦い(武田信玄 対 上杉謙信)・関ヶ原の戦い(徳川家康 対 石田三成&毛利輝元)です。
戦国時代に比べるとマイナーな印象の強い南北朝時代ですが、よく調べると興味深い人物や事件がたくさんありました。
また紹介したいと思うので、おつき合いいただけたら嬉しいです。
※参考文献:
- 川添昭二『中世武士選書第16巻 菊池武光』戎光祥出版、2013年6月
- 桑田忠親『新編 日本合戦全集-2』秋田書店、1990年3月

