若い時はあんなにスマートだったのに……人間は年齢を重ねると基礎代謝量が落ちて、どうしても肥満ぎみになってしまいます。
だから日ごろから適度な運動とバランスのよい食事、そして十分な休息の必要性が叫ばれるのですが、やれ忙しいだの面倒だのと言っては後回しにしてしまいがち。
しかし肥満は放置すると生活習慣病のリスクも高まり、また自己管理ができない証拠として周囲から軽んじられかねません。
そんな悩みは江戸時代の武士たちも持っていたようで、今回は武士道心得集『志塵通(しじんつう)』より、武士たちのダイエット話を紹介。
高潔な精神で己を厳しく律していたイメージの武士たちも、やはり生身の人間。あるべき姿を保つのは大変だったようです。
武士の肥満は達者なりがたからむとて……
予が先師、壮年の時、しきりに肉つきて肥満せんとせしに、平士の肥満しては歩行立の用に立たずとて、強く腹帯をし固め、食に心を付ぬれば、肥満を遁れたりとて、五十に近きまで常に腹帯をゆるめずとせられしなり。
【意訳】私の師匠が中年にさしかかり、肥満しそうになった時のこと。
「平士(ひらざむらい。下っ端)が肥満しているようでは歩行立(かちだち。徒歩でのお供など)のお役に立てない。何とかしなくては」
一念発起した師匠は、帯をきつく締めることで胃袋と食欲をおさえ、食事制限を実施。努力の甲斐あって次第に肉づきも収まり、肥満も解消されたそうな。
しかし油断は禁物。その後も50歳近くなるまで常に帯を緩めなかったのである。
※小寺信正『志塵通』
……確かに着物をしっかり着込んでいると、帯が苦しくてあまり食べられなくなりますよね。
ダイエットが成功して何よりですが、上には上がいたのでした。
熊沢次郎八も十六七の時太りなんとせしに、武士の肥満は達者なりがたからむとて、帯を解て寝ず。美食せず。酒を断ち男女の人道を絶つこと十年なり。江戸詰めの時は寝道具葛籠え木刀を入れ、深夜に人静まりてのち、庭へ出て剣術をつかひなどして身をこなし勤たるよし。
【意訳】熊沢蕃山(くまざわ ばんざん。次郎八)も16~17歳ごろから太り出してしまった。
「これでは立派な武士になれない!」ということで、寝る時も帯をほどかず、美食を控えて食欲を抑えたという。
更には酒を断ち(10代で?)性交渉も絶って(10代で!?)十年間。江戸へ出張する時は旅道具に木刀を入れ、深夜にみんなが寝静まってから剣術の鍛錬を欠かさずダイエットに励んだそうな。
※小寺信正『志塵通』
……十代の少年が、そこまで決意を貫き通したことがまず凄いですね。その後も徹底した陽明学者として己を高め続けたようです。
無理に真似するとリバウンドしそうなので、なかなかここまでは出来ませんが、少しずつでも見習いたいと思います。
とりあえず現代生活に落とし込むのであれば(1)ベルトをちょっときつめに締めて食欲を抑える、(2)酒を控える、(3)適度な運動を心がける……くらいでしょうか。運動は20~30分くらいの散歩が、身体の負担も少なくてよいそうです。
他にも武士たちがどんなダイエットをしていたのか、発見したらまた紹介したいと思います。
※参考文献:
- 氏家幹人『武士マニュアル』メディアファクトリー新書、2012年4月
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