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歴史ゲーム「信長の野望」タイトルの謎。織田信長が主人公に選ばれた人気の理由を考察

コラム
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「信長の野望(通称ノブヤボ)」と言えば、絶大な人気を集める歴史ゲームの金字塔ですよね(異論は認めます)。

筆者も中学生の時に「武将風雲録」「覇王伝」をプレイ、その思い出は20数年が経った今でもワクワクするものです。

ところで、この「信長の野望」というタイトル。どうして”信長”の野望なんでしょうか。

信長イメージ

「そりゃ角田君、織田信長が主人公だからに決まっているでしょう」

もちろんそうなのですが、この疑問は

「なぜ多くの人が、織田信長を戦国時代の主人公と認識しているのか」

と言い換えても良さそうです。

という訳で、今回は織田信長の主人公要素を考察。全国ひいては世界じゅうのノブヤボファンと盛り上がれたら嬉しいです。

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織田信長の生涯を1分でおさらい

天文3年(1534年)に生まれた信長(幼名:吉法師)は、幼少期から奇抜な振る舞いで「うつけ」と呼ばれ、将来を危ぶまれます。

若き日の信長。いかにも奇抜ないでたちである。小林清親筆

しかし実は世を欺くための芝居で、家督を継いでからはたちまち頭角を現しました。

数々の強豪と渡り合いながら上洛を果たした信長は、足利義昭を室町将軍に奉じて天下人への名乗りを上げます。

しかし出る杭は打たれるの通り、義昭の策謀によって「信長包囲網」が張られてしまいました。

周りじゅう敵だらけの窮地を打破した信長は更なる飛躍を遂げ、今にも天下をひと呑みに一統せんばかり。

しかしもう少しで天下が見えてきたところで、明智光秀の謀叛(本能寺の変)によって暗殺されてしまいました。

享年49歳、まさに彼が好んだ敦盛の名文句「人間五十年」を生ききったと言えるでしょう。

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信長が愛される理由

戦国乱世を全力で駆け抜けた信長がなぜ愛され続けるのか。その理由は大きく二つあると考えます。

一、秀吉や家康にはないダイナミック感

一、志半ばにして遂げた非業の死

戦国の「三英傑」と言えば、信長のほか羽柴秀吉と徳川家康。

彼らは信長の死後に天下を統一しており、結果だけ見れば信長以上の勝者と言えるでしょう。

しかし、秀吉も家康もどこかソツがなく面白みに欠けるのです。何というか、道なき道を斬り拓いていく躍動感は、信長に到底およびません。

言ってしまえば「信長の政権を引き継げれば、別に彼らでなくても天下統一はできた」でしょう(もちろん、誰でも簡単に引き継げた訳ではないでしょうが)。

織田がつき 羽柴がこねし 天下餅……歌川芳虎筆

織田がつき 羽柴がこねし 天下餅 座りしままに 食うが徳川

まさに信長が築いた土台に秀吉が城を仕上げ、それを家康が乗っ取ったという訳です。

もう少し生きていてくれれば、信長そして後継者の織田信忠が天下を統一できただろうに……そんな思いこそ、信長を戦国時代の主人公に押し上げた理由と言えるでしょう。

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そして○○の野望へ

とは言っても、戦国大名は全国各地に割拠していました。信長もカッコいいけど、ウチ(地元)の殿様だって頑張ったんだぜ!そんな思いを抱いているのは筆者だけではないはずです。

有名どころでは武田信玄や上杉謙信、毛利元就や長宗我部元親、島津義久に伊達政宗……などなど。

「もし彼らが天下を獲っていたら?」

「むしろ、どうすれば彼らは天下を獲れたのか?」

なんて仮想(シミュレーション)を脳内に繰り広げたのは、きっと筆者だけではないでしょう。

そんなニーズに応えるべく誕生したのが、我らが愛する「信長の野望」シリーズ。

王道の信長で攻略するのはもちろん、全国に割拠する強豪を選んでもいいし、マイナーな弱小大名で天下統一に臨む上級者プレイもワクワクします。

あるいは贔屓の武将に家督を継がせ、天下を獲らせるシナリオも夢があっていいですね。

武将の数だけ野望があり、見果てぬ夢を追い駆けた戦国時代に思いを馳せ、また「信長の野望」をプレイしてみたいと思います。

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