時代劇などを観ていると、主君のそば近くに小姓(こしょう)が仕え、身の回りのお世話などをしている様子を目にします。
その一方で、近習(きんじゅう)と呼ばれる人たちも主君のそば近くに仕えていますが、ふと気になることがありました。
この小姓と近習って、何か明確な違いがあるのでしょうか。それとも同じ役職を分脈によって使い分けている程度の差なのでしょうか。
今回はそんな小姓と近習の違いを調べてみたので、紹介したいと思います。
小姓と近習・大きく異なる年齢層と職域
小姓と近習の違いについて、調べた限りを図にまとめてみました。
小 姓 | 近 習 | |
年齢層 | おおむね10歳前後~20代半ば | おおむね20歳前後~30代ごろ |
主任務 | 主君の身辺世話 | 主君の身辺警護・政務相談 |
重視点 | 容姿端麗(主君の好み) | 武芸・才知 |
備 考 | 元服前の者、また男色の対象者は小小姓と呼ばれた |
小姓とは
年齢は少年から青年にかけて(10歳前後~20代半ば)の者が選ばれます。食事や衣服など身辺の世話を主任務とし、その目的から主君好みの美少年が多く選ばれました。
元服していない者は小小姓(こごしょう)と呼ばれ、男色の対象にされることが多かったと言います。また元服していても男色の対象であれば小小姓と呼ばれることがあったそうです。
近習とは
年齢は青年から壮年にかけて(20歳前後~30代ごろ)、武芸や才知にすぐれた者が選ばれました。身辺の警護や政務の相談などが主な任務であることから、容姿よりも能力が重視されたと言います。
ちなみに、小姓も近習もれっきとした武士ですから、いざ有事には共に主君の楯となって戦ったのは言うまでもありません。
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他にも右筆・奏者・咄衆など
以上、小姓と近習の違いについて紹介してきました。主君のそば近くに仕えた者は他にもおり、それぞれに役割が与えられています。
右筆(ゆうひつ。祐筆)
筆を右(たすけ)ると書く通り、主君の代筆屋です。基本的に文書の作成管理を一手に引き受け、主君は最後に花押(サイン)を書くだけでした。
言うまでもなく書にすぐれた者が選ばれ、出世コースの花形職だったそうです。
奏者(そうじゃ)
現代でも上奏という言葉がある通り、面会人の言葉を主君に伝言する役目を負いました。昔の偉い人は、下々の言葉を直接聞くようなことは基本的にしませんでした。
これまた主君にどんな伝言をするかは奏者しだいですから、家中において隠然たる影響力を発揮したと言います(調子に乗りすぎると後が怖いですが……)。
咄衆(はなししゅう)
これは主君の教育係とも言える役目で、例えば書物を代読(読み聞かせ)したり、当人の経験から得た教訓を聞かせたそうです。
また単に退屈しのぎの四方山話を聞かせることもあり、後に豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)が抱えた御伽衆(おとぎしゅう)もこれに通じるものです。
教養の深さや巧みな話術が物を言う役職で、主君に親しく仕えたことからこれまた花形だったことでしょう。
……他にも主君の身辺は多くの者たちによって支えられており、時代劇を見ることがあったら、大名の周囲も見渡してみると面白いですよ!
※参考文献:
- 稲垣史生 編『戦国武家事典』青蛙房、1981年7月
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