時は寛仁3年(1019年)3月27日から4月13日にかけて、対馬・壱岐・大宰府を刀伊(とい。女真族)と呼ばれた異民族が襲いました。
後世に伝わる「刀伊の入寇」です。入寇(にゅうこう)とは「入り寇(あだ)なす」意味で、鎌倉時代の元寇もそうですね。
当時は眼病治療のために大宰権帥となっていた藤原隆家(竜星涼)が総指揮官として防戦の指揮をとり、奮闘の末に刀伊を撃退しました。
今回は隆家に従って戦った武者たちを一挙紹介。果たしてNHK大河ドラマ「光る君へ」では、どんな活躍が描かれるのでしょうか。
平為賢(神尾佑)
隆家に従う武者
平 為賢(たいらのためかた)
神尾 佑(かみお・ゆう)藤原隆家と親交のある武者。隆家が大宰府に赴く際に従い、刀伊(とい)の入寇(にゅうこう)の際に軍功を立てる。為賢のもとで、双寿丸は武術の研鑽(けんさん)に打ち込んでいる。
※NHK大河ドラマ「光る君へ」公式サイトより。
生没年不詳
父は平維幹(これもと)、母は大姫御前(高階成順女)と言われます。
従五位下で官職はない散位。のち刀伊の入寇で軍功を立て、肥前国を賜わりました。
大蔵種材(朝倉伸二)
大宰府の役人 大蔵 種材(おおくらのたねき)
朝倉 伸二(あさくら・しんじ)大宰府の役人。刀伊(とい)の入寇(にゅうこう)の際に軍功を立てる。
※NHK大河ドラマ「光る君へ」公式サイトより。
生没年不詳
別名は岩間将軍。父は大蔵種光、子に大蔵光弘・大蔵満高らがいます。
大宰大監(だざいのだいげん/じょう)を務め、刀伊の入寇に際しては70歳を超える老将でした。
奮戦の末に刀伊の軍勢を撃退したばかりか、さらに追撃を進言したそうです。
敵の逃げ足が速かったため討ちもらしたものの、軍功により壱岐守に任じられたと言います。
藤原助高(松田賢二)
大宰府の役人 藤原 助高(ふじわらのすけたか)
松田 賢二(まつだ・けんじ)大宰府の役人。刀伊(とい)の入寇(にゅうこう)の際に軍功を立てる。
※NHK大河ドラマ「光る君へ」公式サイトより。
生没年不詳
前大監(さきのだいげん。元職)として参陣。博多の警固所を守備し、刀伊の軍勢を迎え撃ちました。
藤原友近(出合正幸)
大宰府の役人 藤原 友近(ふじわらのともちか)
出合 正幸(であい・まさゆき)大宰府の役人。刀伊(とい)の入寇(にゅうこう)の際に軍功を立てる。
※NHK大河ドラマ「光る君へ」公式サイトより。
生没年不詳
傔仗(けんじょう。大宰帥を護衛する武官)を務め、刀伊の入寇に際しては博多の警固所を防衛しました。
随兵として紀重方(きの しげかた)を従えています。
平致行(内野謙太)
大宰府の役人 平 致行(たいらのむねゆき)
内野 謙太(うちの・けんた)大宰府の役人。刀伊(とい)の入寇(にゅうこう)に際し、隆家らと行動を共にする。
※NHK大河ドラマ「光る君へ」公式サイトより。
生没年不詳
名前の読みは平致行(ともゆき)とも。また平致光(むねみつ)と同一人物説もあります。
前少弐(さきのしょうに。大宰少弐の元職)として参戦し、海上で刀伊の軍勢を迎撃しました。
財部弘延(須田邦裕)
鎮西在地の武者 財部 弘延(たからべのひろのぶ)
須田 邦裕(すだ・くにひろ)鎮西在地の武者。刀伊(とい)の入寇(にゅうこう)の際に軍功を立てる。
※NHK大河ドラマ「光る君へ」公式サイトより。
生没年不詳
擬検非違使(ぎけびいし。検非違使のような役割)を務めていました。
船越津で刀伊の軍勢を迎撃し、守り抜きます。
大神守宮(金児憲史)
鎮西在地の武者 大神 守宮(おおがのもりみや)
金児 憲史(かねこ・のりひと)鎮西在地の武者。刀伊(とい)の入寇(にゅうこう)の際に軍功を立てる。
※NHK大河ドラマ「光る君へ」公式サイトより。
生没年不詳
大神は「おおみわ」とも。財部弘延と共に船越津を守備し、刀伊の軍勢を撃退します。
文屋忠光(守谷日和)
鎮西在地の武者 文屋 忠光(ふんやのただみつ)
守谷日和(もりやびより)鎮西在地の武者。刀伊(とい)の入寇(にゅうこう)の際に軍功を立てる。
※NHK大河ドラマ「光る君へ」公式サイトより。
生没年不詳
志摩郡の住人(特に官位を持たない在地の武者)。地元で刀伊の軍勢を迎え撃ちました。
常覚(タイソン大屋)
壱岐の僧 常覚(じょうがく)
タイソン大屋(たいそんおおや)壱岐の僧。賊の襲撃を受けた壱岐を一人で脱出し、状況を大宰府へ報告する。
※NHK大河ドラマ「光る君へ」公式サイトより。
生没年不詳
壱岐嶋分寺(とうぶんじ。国分寺)の住職。国司の藤原理忠(まさただ)らが玉砕後、義勇兵を組織して刀伊の軍勢に抗戦。3度まで撃退した剛の者です。
しかし衆寡敵せず壱岐を脱出。大宰府の軍勢に参加、奮闘して武功を立てたと言います。
他にも!大河ドラマには出ないかもだけど……
- 多治久明(たじ ひさあきら):怡土郡の住人。現地で刀伊の軍勢を迎え撃つ。
- 藤原明範(あきのり):前少監、博多の警固所で刀伊の軍勢を迎え撃つ。
- 平為忠(ためただ):為賢の子?散位(位階のみで官職なし)。博多の警固所を守備する。
- 藤原致孝(むねたか):前大監。海上で刀伊の軍勢を迎撃した。
- 源知(しるす):前肥前介で弓の名手。松浦郡で刀伊の軍勢を撃退する。
- 大蔵光弘(みつひろ):種材の子。傔仗を務め、博多の警固所で刀伊の軍勢を迎撃した。
- 藤原理忠(まさただ):壱岐守。刀伊の乱暴狼藉を鎮圧するべく出撃するが、衆寡敵せず玉砕する。
- 藤原政則(まさのり):隆家の子。
寄せ集め最高!力を合わせて国難を撃退
今回は刀伊の入寇に際して奮戦した大宰府や在地の武者たちを一挙に紹介してきました。
ほとんど寄せ集め集団だったそうですが、それでも国難を前にして力を合わせ、みごと刀伊を撃退します。
NHK大河ドラマ「光る君へ」予告編では、藤原隆家が自ら甲冑を身にまとい、勇ましく陣頭指揮をとる様子が描かれていました。
しかしあれはドラマの演出であり、実際に隆家がそのような行動をとった記録はありません。
とは言え武の心得がなかったにもかかわらず「やまとごゝろかしこくおはする人(※『大鏡』より)」すなわち「大和心(武士の精神的な)を備えた人物」と評されたのは、それだけ果敢な態度で将兵を束ねたからでしょう。
果たして隆家がどんな采配を振るうのか、そして武者たちがどんな戦いを演じるのか、楽しみですね!
※参考:
- みやこ町歴史民俗資料館
- 関幸彦『刀伊の入寇 最大の対外危機』中央公論新社、2021年8月
- 野口実『中世東国武士の研究』戎光祥出版、2020年12月
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