New! 源方理はなぜ失脚した?その理由は

【歴人録】呪詛で失脚した高階光子(兵藤公美)とはどんな女性?その生涯をたどる【光る君へ】

平安時代
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伊周の叔母 高階 光子(たかしなのみつこ)
兵藤 公美(ひょうどう・くみ)

藤原伊周の母・貴子の妹。

※NHK大河ドラマ「光る君へ」公式サイトより

藤原伊周・藤原隆家兄弟の叔母(高階貴子の妹)にあたるこの女性は、いったい何者なのでしょうか?

今回はこの高階光子(こうし/みつこ)について、その生涯をたどってみたいと思います。

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敦康親王の前途を案ずるあまり……

中宮宣旨を務めた高階光子(イメージ)

高階光子は生没年不詳、高階成忠(なりただ)の娘として誕生しました。

成長して佐伯公行(さえきの きんゆき)と結婚、やがて従五位下に叙され、中宮宣旨を務めます。

中宮宣旨(ちゅうぐうせんじ)とは中宮に仕える女官の筆頭格で、ここでいう中宮とは藤原定子(ていし/さだこ。一条天皇先后)のことです。

光子は敦康親王(一条天皇と定子の第一皇子)の乳母を務めるほど信頼されますが、ほどなくして定子が崩御してしまいました。

遺された敦康親王は中宮・藤原彰子(しょうし/あきこ。一条天皇後后)の養子として大切に育てられます。

しかし寛弘5年(1008年)に彰子が敦成親王(あつひら。一条天皇第二皇子)を産むと、状況は一変したのです。

第一皇子とは言え、後ろ盾がない敦康親王の立場は非常に危うく、このままではどうなるか分かりません。

敦康親王を実子と分け隔てなく愛してくれる彰子はともかく、その父・藤原道長は自分の孫を皇位につけたいため、あの手この手で引きずり下ろそうとしてくるでしょう。

敦康親王の前途を案じた光子は、源方理(かたまさ。伊周の義兄)らと語らい、藤原道長・彰子父娘の呪詛を企みます。

僧侶の円能に厭符(えんぷ。呪詛に用いる札)を作らせたことが発覚し、寛弘6年(1009年)2月20日に方理ともども身分を剥奪されてしまったのでした。

この事件以降、光子が復帰した記録は見られないため、恐らくそのまま戻らなかったのでしょう。

追放された光子がどこでどのような最期を迎えたのか、詳しいことは分かっていません。

高階光子・基本データ

生没:生没年不詳

両親:高階成忠/母親不詳

兄弟:高階助順(すけのぶ)・高階信順(さねのぶ)・高階明順(あきのぶ)・高階道順(みちのぶ)・積善(しゃくぜん)・静昭(じょうしょう)・高階貴子(きし/たかこ)・光子・女子(大江為基室)
※全員生母不詳

親族:藤原伊周(これちか)・藤原定子・藤原隆家(たかいえ)ら(甥、姪)

伴侶:佐伯公行

子女:不詳

位階:従五位下

官職:中宮宣旨(藤原定子)

備考:敦康親王乳母

終わりに

兵藤公美演じる高階光子。NHK大河ドラマ「光る君へ」公式サイトより。

今回は藤原伊周らの叔母・高階光子についてその生涯を駆け足でたどってきました。

姪である定子の忘れ形見・敦康親王を案じるがゆえに呪詛を企み、内裏から追放されてしまった悲しい生涯です。

しかし光子が呪詛しようと企んだ彰子は心から敦康親王を愛しており、後に敦康親王を皇位から引きずり下ろした道長と一条天皇に猛抗議しています。

NHK大河ドラマ「光る君へ」では、敦康親王を一心に思う姿を、兵藤公美が熱演してくれることでしょう!

※参考文献:

  • 山中裕『源氏物語の史的研究』思文閣出版、1997年6月

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