吉原遊廓と聞けば、艶やかな遊女たちが心尽くしのサービスを提供してくれる、華やかな世界をイメージすることでしょう。
しかしそれは表向きであり、営業時間外の遊女たちがどのように暮らしていたのか、お江戸の人々はあまりよく知りませんでした。
花魁を気まぐれに指名できるほど上得意の通人であってもそれは同じ。要するに吉原遊女の日常生活は、スタッフなどごく一部を除いてほとんど知られていなかったのです。
見られないとなれば、見たくなるのが人情というもの。蔦屋重三郎はそこに目をつけ、吉原遊女の日常生活を描いた美人画集を発売しました。
その名も『青楼美人合姿鏡(せいろうびじんあわせ・すがたかがみ)』。果たしてどんな書籍だったのでしょうか。
『青楼美人合姿鏡』出版準備に大忙し
時は安永5年(1776年)、蔦屋重三郎は吉原遊廓にお客を呼び込むために『青楼美人合姿鏡』を発売します。
今回絵筆をとったのは、『一目千本』からお世話になっている北尾重政(きたお しげまさ)と、役者似顔絵で人気の勝川派を率いる勝川春章(かつかわ しゅんしょう)。
この両絵師が揃い踏みで、吉原遊女たちの日常生活をいきいきと描き出しました。
絵の品質を確保したら、次は画材です。料紙も絵具も上質のものを選りすぐり、両絵師の腕が最大限に活きるようにこだわります。
そこいらの黄表紙や絵双紙などとはっきり分かる差をつけました。
蔦屋重三郎がここまで出来たのは、もちろん資金調達が上手く行ったから。
今回の出版に際しては妓楼や遊女たちから資金を募り、蔦重が手がけるなら投資効果も期待できるだろう……ということで、十分な資金が集まりました。
『青楼美人合姿鏡』に描かれた遊女たちの舞台裏
かくしてお膳立てが整ったところで、いよいよ『青楼美人合姿鏡』の中身を見ていきましょう。
吉原遊廓でも名だたる妓楼が自慢の遊女たちを選りすぐり、その日常生活が描かれたのです。
※もちろん性病だの折檻だの、そうしたダークサイドは描きません。そんなマニアックな日常は、吉原遊廓に存在しないことにしましょう。
見世に出ていない遊女たちは、例えば書画を観たり書いたり、和歌を詠んだり。
また双六(すごろく)や香合(こうあわせ)、投扇興(とうせんきょう)など、様々な遊びを楽しみました。
香合とはお香を聞いて(香りをかぐこと)その銘柄や組み合わせを当てるゲーム。また投扇興とは文字通り扇を投げて的に当てる遊戯です。
扇は風の抵抗があるため、狙い通りに飛ばすのは簡単ではありません。
これらの遊びは単に彼女たちの娯楽として行っているのではなく、お座敷に興を添えるためのトレーニングとしても行っています。
何でも上手すぎれば興醒めですし、下手すぎれば興が乗りません。お客が楽しめるよう、お客に合わせたレベル設定ができるのも遊女の嗜みでした。
そんな遊女たちを彩るのが四季折々の情緒や風情。高い塀とお歯黒ドブに囲まれた吉原遊廓にも、ちゃんと季節は巡るのです。
籠の鳥になっている遊女たちと楽しいひとときを共にしながら、少しでも慰めて叶うことなら身請けしてあげたい……。
男たちは『青楼美人合姿鏡』を手にとりながら、そんな妄想を膨らませたのかも知れませんね。
『青楼美人合姿鏡』あえて欠点を挙げるなら……。
かくしてヒットを飛ばした『青楼美人合姿鏡』ですが、それでも完全無欠というわけではありませんでした。
あえて『青楼美人合姿鏡』の欠点を挙げるとすれば、掲載されている妓楼や遊女に偏りがあった点でしょうか。
これは『青楼美人合姿鏡』の出版に際しては資金を提供してくれた妓楼や遊女を贔屓しており、商売の基本からすればやむを得ません。
本当ならすべての妓楼や遊女を網羅してほしいところですが、それは今後のお楽しみ。
かくして『青楼美人合姿鏡』は大いに売れて、吉原遊廓の客入りに貢献したことでしょう。
終わりに
今回は蔦屋重三郎が出版した『青楼美人合姿鏡』について紹介してきました。
果たして我らが蔦重は、どんな誕生劇を演じてくれるのでしょうか。
浮世絵師たちの筆遣いや妓楼の盛り上がりなど、大河ドラマが楽しみですね!
※参考文献:
- 『時空旅人別冊 蔦屋重三郎 ~江戸のメディア王と波乱万丈の生涯~』サンエイムック、2025年2月
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