「おや、お前さん……何だか人間(ひと)みたいな事を言っているよ?忘八なら忘八らしく、ひとつ損得ずくで頼むわ」
かつと親子喧嘩をしていた駿河屋市右衛門(高橋克実)を、じっとりと諭す扇屋宇右衛門(山路和弘)。その渋い佇まいが、多くの視聴者をファンにしました。

近ごろは忘八アベンジャーズの一人としてあまり自己主張が強くありませんが、その存在感は依然として健在です。
今回はそんな扇屋宇右衛門(おうぎや うゑもん)について紹介。果たして彼は、どんな人物だったのでしょうか。
和歌に狂歌に……教養あふれる吉原きっての通人
扇屋宇右衛門は延享元年(1744年)に誕生しました。
主人公の蔦屋重三郎(横浜流星)は寛延3年(1750年)生まれですから、実は6歳しか違わないのですね。演者さんの影響で、親子ほど年の差があるのかと思っていたのですが……。
名字は鈴木で、諱(いみな。実名)は不明。宇右衛門は元服した男性が名乗る通称です。雅号を墨河(ぼくが)と言いました。近くを流れている墨田川を指しているのでしょう。

ご存じ吉原遊廓でも指折りの大見世「扇屋」を営み、花扇(はなおうぎ)や滝川(たきがわ)などの名妓を抱えました。
ちなみに扇は雅称を五明(ごめい。五本の骨を明ける=開く)と言うため、扇屋は五明楼とも呼ばれます。これが吉原遊郭で初めて屋号に楼をつけた事例だそうです。
そんな宇右衛門は十八大通(じゅうはちだいつう。当世を代表する通人)の一人に数えられるほどの通人として名を馳せ、和歌・俳句・狂歌・書画などに通じる教養人でした。
和歌や書は加藤千蔭(かとう ちかげ)に学び、画は北尾派の流れをくむ美人画を残しています。
狂歌については四方赤良(桐谷健太)に師事して自身は棟上高見(むねあげの たかみ)と号しました
妻も垢染衣紋(あかしみの ゑもん)と号する狂歌師で、夫婦仲良く?加保茶元成(かぼちゃの もとなり。二代目大文字屋市兵衛)が主宰する吉原連で活躍したそうです。
そして寛政13年(1801年)1月11日に58歳で世を去りました。蔦重の没年が寛政9年(1797年)なので、大河ドラマ終了時点ではまだ生存しているでしょう。
扇屋宇右衛門・基本データ
- 生没:延享元年(1744年)生~寛政13年(1801年)1月11日没
- 本名:鈴木宇右衛門(諱は不詳)
- 別名:扇屋墨河(雅号)、棟上高見(狂号)
- 家族:垢染衣紋(妻)
- 職業:忘八、妓楼「扇屋(五明楼)」の主人
- 特技:和歌、俳句、狂歌、書画
終わりに

◆扇屋宇右衛門/山路和弘
おうぎや・うえもん/やまじ・かずひろ和歌、俳句、画に通じた教養人の女郎屋の主
松葉屋(正名僕蔵)と共に吉原を取りまとめる女郎屋“扇屋”の主。「墨河」という号を持ち、俳句、和歌、画などをたしなむ教養人で女郎たちにも和歌や書を習わせ、花扇、滝川といった名妓を育てた。※NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」公式サイトより。
今回は扇屋宇右衛門について、その生涯をたどってきました。劇中でも狂歌が流行するので、彼の作品もぜひ披露してほしいですね。
妻の垢染衣紋(垢が染みた衣紋掛。元ネタの赤染衛門が聞いたら激怒しそう……)の登場・活躍にも期待しましょう!
※参考文献:
- 上田正昭ら編『日本人名大辞典』講談社、2001年12月