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不敬千万!高師直を日本三大悪人にランクインさせた暴言の真相は?

南北朝・室町時代
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日本史上にその名を残した三大悪人と言えば諸説ありますが……。

平安時代から鎌倉時代にかけて源義経(みなもとの よしつね)はじめ数々の御家人を讒訴で葬り去った梶原景時(かじわらの かげとき)、室町幕府の第13代将軍・足利義輝(あしかが よしてる)の暗殺をはじめ、何度も謀叛を起こした戦国時代の梟雄・松永久秀(まつなが ひさひで)が有名ですね。

そして最後の一人は、鎌倉時代から南北朝時代にかけて足利尊氏(たかうじ)の執事として辣腕を奮った高師直(こうの もろなお)

伝・高師直騎馬像。Wikipediaより

景時や久秀に比べると若干インパクトの弱い印象ですが、果たしてこの高師直はどんな悪事を働いたのでしょうか。

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石清水八幡宮や吉野行宮への焼き討ち

高師直は生年不詳、足利尊氏の執事として実務を補佐する一方で、鎌倉幕府の打倒にも武勲を立てた文武両道の人物です。

鎌倉幕府を滅ぼした後醍醐天皇が主導した建武の新政、その後醍醐天皇(南朝)から離反した尊氏の室町幕府(北朝)でも政治手腕を発揮して改革を進めました。しかし、尊皇保守派であった尊氏の弟・足利直義(ただよし)と対立。

やがて尊氏と直義との確執は戦闘にまで発展(観応の擾乱)。敗れ去った高師直は滅ぼされ、あえなく命を落としたのでした。

そんな高師直の悪人らしいエピソードと言えば、源氏の氏神である石清水八幡宮(いわしみずはちんぐう)と南朝の臨時首都であった吉野行宮(よしのあんぐう)の焼き討ちが代表として挙げられます。

イメージ

畏れ多くも神仏や朝廷に対して火を放った所業について、一定の批判は避けられないでしょう。

しかし当時そこには敵対勢力(南朝)が立て籠もっており、師直も和平交渉の時間稼ぎなど攻撃回避の努力を示しており、これらを師直一人の責任とするのはあまりに酷というものです。

しかし世の人はそう見てはくれなかったようで、軍記物語『太平記(たいへいき)』では師直を神仏も皇室も畏れない大悪人として描きました。

不敬千万!高師直を日本三大悪人たらしめた暴言の真相

【原文】……若(もし)王なくて叶まじき道理あらば、以木(きをもって)造るか、以金(かねをもって)鋳るかして、生たる院、国王をば何方(いづかた)へも皆流し捨奉らばや……

※『太平記』巻第二十六「妙吉侍者事付秦始皇帝事」より

【意訳】もし天皇陛下がいなければ困ると言うなら、木で彫るなり金属を鋳るなりして造ればよかろう。生きた人間の皇族なんて、どこへでも流刑に処してしまえ……

まともな日本人であるなら、畏れ多くも天皇陛下を「(皇よりも格下の)王」と呼ばわることだけでも目まいがしてしまいそうです(ただし、当時においては世の乱れゆえか、師直以外にもそのような表現が散見されます)。

ともあれこのセリフの強烈なインパクトが師直のキャラクターを確立、文句なしで日本三大悪人へのランクインしてしまったのですが、実はこのセリフ、師直の発言ではありません。

(前略)……皆流し捨奉らばやと云し言の浅猿(まし)さよ。

【意訳】~などと言う、師直の発言のなんとあさましい(猿の浅知恵がましい)ことか。

これは妙吉(みょうきつ)というアンチ師直派の僧侶が、直義に対して告げ口をしているシーンなのです。

「アイツがナントカって言ってましたよ!ヒドイ奴ですよね!ね?」

直義に密告する妙吉(イメージ)

古来「一方聞いて沙汰するな」と言われる通り、師直の発言について客観的な証拠や記録があるならともかく「師直ならば言いかねない」だけで何でもかんでも決めつけてしまっては、公平さに欠けるのではないでしょうか。

終わりに

他にも高師直については「他人の妻に横恋慕して、奪い取るべく夫を抹殺した」などのエピソードが伝わっています。

しかしいずれも史料的な裏づけに乏しく、これも「師直ならばやりかねない」「いや、むしろこのくらい悪人な方が面白い」とばかり悪名を上塗りされたのでしょう。

まさに死人に口なしですが、敗れ去った者については悪評を若干割り引くこと、また良かった面についても意識することが大切なようです。

※参考文献:

  • 亀田俊和『歴史文化ライブラリー406 高師直 室町新秩序の創造者』吉川弘文館、2015年7月
  • 亀田俊和『観応の擾乱 室町幕府を二つに裂いた足利尊氏・直義兄弟の戦い』中公新書、2017年7月

 

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