幕末から明治期にかけて活躍した浮世絵師・月岡芳年(つきおか よしとし)。
躍動感あふれる人物や動物、凄惨な流血表現など、その生々しさから「血みどろ芳年」などと呼ばれました。
今回はそんな月岡芳年が描いた一枚の錦絵を紹介。その魅力を一緒に堪能できたらと思います。
狼と対峙する関口弥太郎

この錦絵、関口弥太郎(せきぐち やたろう)という男性が角材を構え、足元に迫る狼(山犬)たちを威嚇しています。
弥太郎は岩の上に陣取り、狼が跳びかかって来たら痛打を加えてやろうと眼光鋭く睨みつけているようです。
いっぽう画面左下の狼たちは、目をひん剥いて声を限りに吠えたてているものの、跳びかかる身構えはできていません。
もちろん野生動物ですから、少しでも油断すればたちまち身構え、瞬時に跳びかかってくるでしょう。
背景は夜の帳が下りつつあり、状況は人間である弥太郎にとって、不利へと傾きつつあるようです。

すぐにも逃げ出したいところですが、ここで弱みを見せれば彼らに追いつかれ、アキレス腱でも咬みちぎられて万事休す。夜が明ける前には彼らのエサにされてしまうでしょう。
刻一刻と辺りが暗くなる前に、勝負をつけてしまいたい弥太郎は、精神を集中させて一撃必殺の好機を狙うのでした……。
とまぁ、そんな状況が描かれているようです。
右上の弥太郎と左下の狼たち。その背景には次第に下りていく夜の帳……手に汗握るワンシーンが、巧みに描かれていますね。
伊東澐鶴「東錦浮世稿談」を読む

さて、この錦絵には解説が付いているので、こちらも読んでみましょう。
原文・ルビ付き
東錦浮世稿談 伊東澐鶴(あずまにしき・うきよこうだん いとう うんかく)
雲尓(に)駕(が)して京師(みやこ)尓赴く東海道中の張天師(ちょうてんし)惡狼(あくろう)を征して泰然たる箱根山の洪大尉(こうたいい)強臆(ごうおく)似て非なる竜虎山中(りゅうこさんちゅう)狼者(おおかみもの)の同行(みちづれ)も關(せき)ハゆるさぬ■口(読み不明)可”(が)切手すてべき寸鉄(すんてつ)も帯(おび)ぬ拳の津ゞ■可うち景陽岡(けいようこう)の眺望(ながめ)尓比すれど、行者(ぎょうじゃ)可”(が)武松(ぶ しょう)乃(の)振舞(ふるまい)奈らば、頓(とみ)に往来を駕(のす)る叓(こと)神行(じんこう)の脚達者(あしだっしゃ)といふべし
假名垣曽文(かながき そぶん)記※■は判読不明。
原文・読み下し
雲に駕して京師に赴く、東海道中の張天師、悪狼を征して泰然たる箱根山の洪大尉。強臆似て非なる、竜虎山中、狼者の同行も関は許さぬ。■口が切ってすてべき寸鉄も帯びぬ拳の「つづ■か」うち、景陽岡の眺望も比すれど、行者が武松の振舞ならば、とみに往来を駕ること、神行の脚達者というべし
意訳
雲に乗って都へ向かう張天師さながら、健脚で東海道を進む関口弥太郎。箱根山で狼を退治して泰然としている様子は、まるで洪大尉を思わせる。
強胆と臆病は似て非なるものだ。竜虎山の関所では、狼の同行は許されない。弥太郎は寸鉄も帯びず、かの景陽岡を思わせる眺めの中で、行者の武松を思わせる闘いぶりを見せた。
このように何者も恐れない弥太郎は山の獣たちさえ怯まなかったため、神行ともいうべき速さで旅路を進んだのである。
用語解説

張天師:『水滸伝』に登場する仙人で、竜虎山に住む。天下を救うため、雲に乗って都(開封)へ向かう。
洪大尉:『水滸伝』の登場人物で、張天師を招くため竜虎山に向かう。悪霊の封印を解いてしまい、世に放たれた悪霊たちが生まれ変わって物語の主人公となる。
景陽岡:『水滸伝』に登場する地名で、景色はいいが、人食い虎の出没する危険地帯。
行者の武松:『水滸伝』主人公の一人で、景陽岡の虎を素手で倒す豪傑。
神行の脚達者:『水滸伝』主人公の一人・戴宗(たい そう)の二つ名「神行太保」を連想させる。
※ちなみに『水滸伝』とは中国四大伝奇小説の一つで、108人の豪傑(洪大尉によって解放された悪霊の生まれ変わり)が梁山泊に集結し、悪徳役人を退治していく冒険活劇です。
終わりに・ところで関口弥太郎とは?
……要するに、この関口弥太郎は「東海道を旅する道中、箱根山で狼を退治した」ということですね。その豪傑ぶりはさながら虎殺しの武松を思わせるものでした。
他にも『水滸伝』から人名や地名などがちりばめられており、好漢たちの義侠心に対する憧れが伝わります。
月岡芳年は他にも多くの作品を遺しているので、また他の作品も一緒に観賞できたら嬉しいです。
ところでこの関口弥太郎という人物、江戸時代の前期から中期にかけて活躍した剣豪・関口氏暁(うじとき)を指しているのでしょうか。
それとも同姓同名の他人なのか(関口も弥太郎も、そこまで珍しい姓名ではないので)……今後も調べてみたいと思います。