NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」、とうとう源義経(演:菅田将暉)が最期を迎えてしまいました。今ごろ義経ロスになっている方も多いのではないでしょうか。
義経の最期と言えば、対になって紹介される「弁慶の立ち往生」。主を守るため、武蔵坊弁慶(演:佳久創)は全身に敵の矢を浴びせられてもなお倒れず、立ったまま息絶えたというエピソードです。
絶対にここは通さない。義経に対する弁慶の厚い忠義が、現代でも多くのファンを魅了しています。
劇中では弁慶が恥ずかしげに木製の鎧を披露し、上から袈裟と頭巾をまとって敵中へ踊り出すシーンがささやかな笑いを誘っていました。
有名な「立ち往生」を演じる(というより義経が自刃する時間を稼ぐ)ため、全身に矢を受けても耐えられるよう、彼なりに工夫したのでしょう。
残念ながら直接見ることはできませんでしたが、壁の隙間から覗き見る義経の「やってるやってる」という笑いが、その奮闘ぶりを彷彿とさせます。
さて、今回はそんな武蔵坊弁慶の墓などにお参りして来ました。少し前(令和元・2019年8月)の思い出ですが、旅の参考になれば幸いです。
色かえぬ 松のあるじや 武蔵坊…弁慶の墓
いきなりですが、武蔵坊弁慶の墓は中尊寺のすぐ前(表参道・月見坂の入り口)にあります。
弁慶の巨体を思わせる大きな石碑の傍ら、松の根元に鎮座する小さな石塔。このずんぐりむっくり感もまた、彼らしいですね。
傍らには由緒書きが立てられており、その墓の説明がこちら。
【武蔵坊弁慶大墓碑 建立由来】
文治五年(一一八九)義経の居城高館焼打されるや、弁慶は最後まで主君を守り遂に衣川にて立往生す。
遺骸をこの地に葬り五輪塔をたて、後世中尊寺の僧素鳥の詠んだ石碑が建てられた
色かえぬ 松のあるじや 武蔵坊
義経は中尊寺から少し離れた高館(たかだち。衣川館)に滞在しており、ここは藤原基成(ふじわらの もとなり。泰衡の祖父で秀衡の舅)の館でした。
文治五年閏四月卅日已未。今日。於陸奥國。泰衡襲源豫州。是且任勅定。且依二品仰也。与州在民部少輔基成朝臣衣河舘。泰衡從兵數百騎。馳至其所合戰。与州家人等雖相防。悉以敗績。豫州入持佛堂。先害妻〔廿二歳〕子〔女子四歳〕次自殺云々。(以下略)
【意訳】陸奥国で藤原泰衡(演:山本浩司)が源予州=義経を襲撃した。朝廷と頼朝の圧力によってである。義経は衣川にある藤原基成(民部少輔基成朝臣)の館におり、泰衡は数百騎の兵を従えて合戦になった。義経は家来たちと防いだが敗れ、持仏堂に入って22歳の妻と4歳の娘を殺して自刃した。
※『吾妻鏡』文治5年(1189年)閏4月30日条
義経の居城って……勝手に乗っ取らないであげて下さい(その気になれば簡単だったでしょうけど)。あるいは単に義経が「居た場所」程度の意味かも知れませんね。
由緒書きの説明だと「高館の義経が焼き討ちされ、弁慶が衣川で立ち往生した」旨が書かれています。
そのため、義経と弁慶主従が別の場所で最期を迎えたように感じるかも知れませんが、高館と衣川は同じ場所です。念のため。
色かえぬ 松のあるじや 武蔵坊
【意訳】冬の厳しい寒さにも色を変えない松の根元には、どんな苦境であっても忠義を棄てなかった武蔵坊が葬られている。
乱暴者だけど情に篤く、義経のためなら水火の難儀もいとわない……そんな弁慶らしさを愛するファンの心情がよく表された一句ですね。
スポンサーリンク
中尊寺を守護する弁慶堂と、新たな伝説の第一歩?義経堂
中尊寺の境内にも弁慶を祀る通称「弁慶堂」があります。
元々は五方鎮守・火伏の神である勝軍地蔵菩薩(しょうぐんじぞうぼさつ)をお祀りする愛宕宮(あたごぐう)であったところ、弁慶の忠義を讃えた者が寺の守護神として彼を合祀。
明治時代の神仏分離によって弁慶のみが祀られるようになったとか。
堂内には義経と弁慶主従の木造が安置され、言い伝えによると弁慶の等身大である186センチとのことです。
(早朝だったため扉が閉まっていました。ご本尊様にカメラを向けるのは遠慮するにしても、一目拝みたかったです)
ちなみに現存する寺堂は江戸時代末期の文政10年(1827年)に再建されたもの。今も弁慶の忠義を愛する多くの人々が参詣。末永く語り継がれることでしょう。
せっかくなので、弁慶が立ち往生した「現場」である高館の義経堂にもお参りしました。
境内から見晴らす北上川の壮観な光景は、ここから始まる義経の「新たな伝説の幕開け」を彷彿とさせます。
「文治五年に、この館で自刃したのは、義経の影武者である杉目太郎行信であって義経はその一年前に弁慶らをともない館を出て、束稲山を越え長い北への旅に出たのである」
※現地の案内板「伝説義経北行コース」より。
さすがにモンゴルへ渡ってチンギス・ハーンになった説は勘弁して欲しい(彼の残虐行為すべてが義経のせいになってしまうため)ですが、蝦夷地へ渡ってみんなと楽しく安らかな人生を送ったのかも……くらいは想像の余地があってもいいでしょう。
しかし、そうなると弁慶の立ち往生も往生していないことになってしまいますが……まぁ細かいことは言いっこなしです。誰も死んでいないに越したことはないのですから。
義経はどこまで行ったのか、本当にチンギス・ハーンとなったのか……北海道はじめ各地に義経伝説が残っているので、そちらも訪ねてみたいですね!
※参考文献:
- 上横手雅敬『源義経 流浪の勇者』文英堂、2004年9月
スポンサーリンク
コメント