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和田義盛(横田栄司)ら一族の英霊が眠る。和田塚にお参りしてきました【鎌倉殿の13人】

歴史旅
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建暦3年(1213年)5月2日に和田義盛(演:横田栄司)が挙兵。5月3日まで2日間にわたって激闘を繰り広げ、鎌倉を火の海にした「和田合戦」。

繰り返される北条義時(演:小栗旬)の挑発に耐えかねた義盛は、同族である三浦義村(演:山本耕史)らの裏切りによって劣勢に。

奮戦する朝比奈義秀。歌川豊国「和田合戦図」より

それでも朝比奈義秀(演:栄信)らの奮闘によって坂東武者の意地を見せ、華々しく散っていったのでした。

そんな和田一族の英霊が祀られているのが鎌倉・和田塚。今回はこちらにお参りしてきました。

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和田塚のあらまし

和田塚は江ノ電「和田塚駅」より徒歩1分。鎌倉駅から藤沢方面へ1つ目の駅なので、鎌倉駅西口から歩いても普通に行けます(徒歩15~20分見ればいいでしょう)。

和田塚の境内。霊域ですから、然るべき態度で参拝しましょう。筆者撮影

さて、境内に入ると真正面に大きな石碑。左右にも石碑が林立し、ここが霊域であることを主張するようです。

元は古墳(無常堂塚)と伝わり、この一帯は集団墓地として多くの亡骸が埋葬されています(※ただし鎌倉市による調査では古墳の遺構や遺物が発見されず、鎌倉時代以降の造営とする説も)。

境内裏手に集められた五輪塔たち。開発による破壊を逃れ、身を寄せ合っているよう。筆者撮影

和田一族についてもその一環として祀られ、また時代が下ると近現代の開発を逃れるように一帯の石仏や五輪塔なども集められました。

戦没者慰霊塔。郷土の英霊を祀っています。筆者撮影

近代以降のものでは境内右奥に戦没者慰霊塔(幕末~大東亜戦争)、左奥に関東大震災の犠牲者が祀られるなど、地続きの歴史を感じられます。

大震災殃死者供養碑。ここで言う震災とは大正12年(1923年)の関東大震災。筆者撮影

和田塚

和田塚は建保元年、鎌倉幕府内部抗争による北条義時と和田義盛の武力衝突(和田合戦)の結果、和田一族敗死の屍を埋葬した塚として今日まで継承されている。
和田塚の前身は古墳時代の墳墓であったと言われている。大正末年ごろの開墾などによって多くの塚が壊されたが、五輪塔をならべた和田塚はかろうじて残った。鎌倉の歴史を語る上で貴重な遺跡である。

社団法人 由比ヶ浜青年会
平成24年5月

※現地案内板より
和田塚の案内板。筆者撮影

これからも和田塚が人々に親しまれると共に、和田一族の遺勲が讃え継がれることを願ってしばし合掌しました。

討死した和田一族と仲間たち

さて、鎌倉幕府の公式記録『吾妻鏡』によると和田合戦における和田勢の討死は234名と言います。彼らの首級はずらりと固瀬河(現:境川)に並べられました。

「和田一族戦没地」碑。左奥に「和田義盛一族墓」。筆者撮影

ここではその顔触れを一挙に公開しましょう。

【討死した和田一族13名】

和田左衛門尉義盛
和田新左衛門尉常盛(つねもり。義盛の長男)
朝夷奈三郎義秀(演:栄信。義盛の三男)
和田四郎左衛門尉義直(演:内藤正記。義盛の四男)
和田五郎兵衛義重(演:林雄大。義盛の五男)
和田六郎兵衛義信(よしのぶ。義盛の六男)
和田七郎秀盛(ひでもり。義盛の七男)
和田新兵衛入道朝盛(とももり。常盛の子で義盛の孫)
和田八郎(はちろう。詳細不明)
和田五郎(ごろう。詳細不明)
和田宮内入道(くないにゅうどう。詳細不明)
和田弥次郎(やじろう。詳細不明)
和田弥三郎(やさぶろう。詳細不明)

※このほか、小者や郎党など身分の低い者は割愛とのこと。

※『吾妻鏡』より

和田一族は以上ですが、義盛らと共に戦った者たちはどうなったのでしょうか。一緒に葬られたか、あるいは遺族が地元へ連れ帰った可能性も考えられます。

和田一族だけに見せ場はやらぬ!とばかり暴れ回る土屋義清と古郡保忠。歌川豊国筆

以下、特に活躍した者たちの一部を紹介。

横山右馬允時兼(よこやま ときかね。常盛の義兄)
古郡左衛門尉保忠(ふるごおり やすただ。横山一族)
土屋大学助義清(つちや よしきよ。岡崎義実の子)
薗田七郎成朝(そのだ なりとも泉親衡の乱で捕らわれるも脱走)
岡崎左衛門尉実忠(おかざき さねただ。義清の甥で岡崎義実の孫)
梶原刑部丞朝景(かじわら ともかげ。梶原景時の弟)

※『吾妻鏡』より

などなど。大河ドラマでは割愛されたものの、多くの者たちの思いを背負って戦った和田義盛。彼らの最期は今なお多くの人々を感動させています。

終わりに

私事で恐縮ながら、筆者が和田義盛のファンになったのは中学生のころ、塾の先生(もちろん和田さん)がその末裔を自称していました。

境内片隅の石仏。破損した頭部を針金で補修してあり、地元民によって守られている。筆者撮影

曰く「和田一族の滅亡後、伊勢へ逃れた生き残りが後世へ血脈を受け継いだ」とのこと。事実関係については今後の究明が俟たれるものの、義盛の子孫には是非とも元気で繁栄して欲しいですね。

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