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明治時代初の国際結婚「EUの母」と呼ばれた「黒い瞳の貴婦人」クーデンホーフ光子の生涯【下】

大正時代
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これまでのあらすじ

明治時代、日本からオーストリア=ハンガリー帝国のハインリヒ・クーデンホーフ伯爵に嫁いだ青山みつ改めクーデンホーフ光子(-みつこ)。

クーデンホーフ光子。Wikipediaより

ただ独りの日本人として、ヨーロッパの貴族界を生き残るべく、夫の愛情を恃みに必死の努力を重ね「黒い瞳の貴婦人」「レディ・ミツコ」と一目置かれるまでに成長した光子ですが、そんなある時ハインリヒが心臓発作で急死。

7人の子供たちを守るために親族との遺産争い(訴訟)を闘い抜き、勝利を勝ち取ったものの第一次世界大戦によってオーストリア=ハンガリー帝国が崩壊。伝統的な貴族社会は次第に終焉を迎えます。

そんな中、変わりつつあった時代と価値観の違いから次男リヒャルトが駆け落ち婚。誰よりもクーデンホーフ伯爵家にふさわしくあろうと厳格に努めた光子は、子供たちとの溝を深めていくのでした……。

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クーデンホーフ家の没落、ただ一人残った次女オルガと望郷の念

さて、第一次世界大戦に敗れたことでオーストリア=ハンガリー帝国が崩壊すると、古き良き貴族社会も終焉を迎え、クーデンホーフ伯爵家も戦争につぎ込んだ(供出した)莫大な財産を失い、没落してしまいました。

「絶対にクーデンホーフ家を守ると誓ったのに……あなた(亡き夫ハインリヒ)、ごめんなさい……」

苦しい生活を支えるべく奔走した無理が祟ったのか、大正14年(1925年)に光子は脳溢血を患い、右半身不随になってしまいます。

「母さん、しっかりして……」

この頃になると、クーデンホーフ家の堅苦しい生活(≒光子の厳格な教育)を嫌って、成人した子供たちは次々と独立。家を出て行ってしまい、彼女のそばに残っていたのは次女のオルガただ一人でした。

「ごめんなさい。私が、こんな身体になってしまったばっかりに……」

本当は、あなたもクーデンホーフ家を飛び出して、自由に暮らしたいでしょうに……そんな光子に、オルガは答えます。

「私は大丈夫だから……早く元気になってね」

「ありがとう……」

日本人だから、卑しい出身だから、教養がないから……そんな偏見を跳ね返そうと必死に努力して、誰よりもクーデンホーフ家の一員らしくあろうと厳格だった光子を、ただ一人オルガだけが理解していたのでした。

結局、オルガは光子の介護によって婚期を逃し、一生を独身で過ごすこととなったのですが、ここまで愛情を貫くことができた彼女に、きっと後悔はなかったでしょう。

そのころ、光子に残された楽しみと言えば、ウィーンの日本大使館へ出かけて日本人職員と日本語で雑談を楽しみ、日本語の新聞や書籍を読むことくらい。

遠く異境で日本を懐かしみ、光子は歌を詠みます。

ふる雪に 色の変わらぬ 松の枝(イメージ)

年ふれど(経れど) 色はかわらじ ときわ(常葉)樹の
思いはいつも 故国(ふるさと)のこと

【意訳】どれほど歳月を経ても色の変わらぬ常緑樹のように、私はずっと日本のことを思い続けています。

19歳で日本を離れて早数十年、誰よりもヨーロッパ人らしくあろうと気丈に努めた光子でしたが、望郷の念がその胸中より消えることはありませんでした。

エピローグ

その後、昭和13年(1938年)にオーストリアがナチス・ドイツに併合されるとその同盟国であった日本政府に保護を受けます。

しかし昭和14年(1939年)に第二次世界大戦が勃発すると、ドイツ難民としてヨーロッパ各地を転々とさせられるのでした。

イメージ

「母さん、大丈夫……?」

「……えぇ……」

避難した先々で戦火に見舞われ、逃げ出した先もまた戦火に……こうして昭和16年(1941年)8月27日、避難先のアパートで光子はオルガに見守られながら、67歳の生涯に幕を閉じました。

「みんな、母さんが亡くなったのだけど、最期くらいお別れに来ない?」

オルガは兄弟たちに母の訃報を伝えますが、誰一人として来てくれず、あまりの寂しさを見かねてか、ご近所さんの協力をもってどうにか葬儀を執り行ったそうです。

かくして誰よりも誇り高く、クーデンホーフ伯爵家に相応しくあろうと厳格であった光子は、封建主義から自由主義へと変わりつつあった時代と子供たちに見捨てられ、寂しく世を去ったのでした。

それでも光子の子供たちは各分野で活躍し、特に次男リヒャルトの提唱した汎ヨーロッパ思想は、やがてEU(欧州連合)として結実。

EU旗。Wikipediaより

「EUの父」リヒャルトの母として光子もマスコミ・メディアの注目を集め、やがて「EUの母(祖母?)」と呼ばれるように。

価値観の相違から勘当したとは言え、やはり自分の息子が活躍しているのは嬉しいもので、光子も誇らしく思ったことでしょう。

かつてヨーロッパに渡り、ただ独り日本人女性の誇りを貫き通したクーデンホーフ光子。その凛とした姿は、今でもヨーロッパの人々から愛され続けています。

【完】

※参考文献:

  • 木村毅『クーデンホーフ光子伝』鹿島出版会、1986年10月
  • シュミット村木眞寿美 編『クーデンホーフ光子の手記』河出書房新社、2010年8月
  • 堀江宏樹ら『乙女の日本史』東京書籍、2009年7月
  • 南川三治郎『クーデンホーフ光子 黒い瞳の伯爵夫人』河出書房新社、1997年5月

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