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敵は南瓜と思って斬れ!?幕末の「人斬り彦斎」と「不殺の海舟」の対談エピソード

幕末維新
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皆さんは子供のころ、授業参観のことを覚えていますか?

お父さんお母さんや保護者に見守られて緊張した時、こんなことを言った人がいました。

「後ろに並んでいるのが人間だと思うから緊張するんだ。南瓜やジャガイモが転がっていると思えば、緊張なんてするものか」

まぁなかなかそうは思えないから緊張してしまうのですが、これはピアノの発表会なんかでも同じことが言えますね。

ただ見られているだけでも緊張するのに、ましてや人を殺すなどと言ったら、その緊張は比較にならないほどでしょう。

しかし世の中は広いもので、人がいようと何とも思わず、いや南瓜(カボチャ)や茄子(ナス)くらいに思って斬り捨てる者もいたようです。

そこで今回は、幕末四大人斬りの一人として恐れられた河上彦斎(かわかみ げんさい。玄哉)と、勝海舟(かつ かいしゅう)エピソードを紹介したいと思います。

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「南瓜と思って斬ればよろしい」人斬り彦斎、かく語りき

激動の幕末、暗殺はじめ血腥い事件が日常茶飯事だった時代。

決して人を斬ることがなかった勝海舟に、河上彦斎が意見したそうです。

河上彦斎。Wikipediaより

「あなたは日ごろ『決して人を斬らない』と公言していますが、それはいけません。あなたの命を狙う者はごまんといるのですから、たとえ本意でなくとも『必要ならば返り討ちも辞さぬ』との態度をとらねば、刺客どもは『襲撃に失敗しても自分が殺されることはないのだから』とあなたを恐れず、却って命を狙われてしまうでしょう」

要するに実際に行使するつもりはなくても抑止力を持ち、周囲に示しておくべきだ……当然と言えば当然の危機管理。彦斎は言葉を続けます。

「あなたが『刺客もまた自分と同じ人間だ』とお思いのお優しい方なのか、それとも人を斬るのが怖くて仕方のない臆病者なのかは存じませんが、いずれにしても自分の命をつけ狙う者など、南瓜や茄子くらいに思って斬り捨てればよいのです」

料理の時に野菜を切り刻んだからと言って、いちいち可哀想とか申し訳ないなどと思う者はいません。

自分の命を奪おうとやって来る者の命なんて、その程度に軽くあしらってやればよろしい。そう彦斎は言うのです。

そんな提言に対して勝海舟が何と答えたか、幕末維新の回顧録『海舟座談』には記述がありません。

ただ、表向きはともかく心から同意していないことは、その後の言行から明白でしょう。

「(前略)それはヒドイ奴だったよ。しかし河上は殺されたよ。私が殺されなかったのは、無辜を殺さなかった故かも知れんよ。刀でも、ひどく丈夫に結えて、決して抜けないようにしてあった。人に斬られても、こちらは斬らぬという覚悟だった。(後略)」

※『海舟座談』より

「刺客なんて、蚤や虱みたいなもの」不殺の海舟、かく語りき

古来「攻撃こそ最大の防御」とはよく言ったもので、それは敵から攻撃される前にこちらから攻撃して(殺して)しまえば怖くない……裏を返せば「相手の攻撃を真っ向から受け止めるのは怖い」とも言えます。

勝海舟。Wikipediaより

相手を南瓜や茄子と割り切ってしまえば斬り捨てるのも気楽ですが、同じ人間と受け止めながら敵と向き合うのは、並大抵のストレスではないでしょう。

ナニ蚤(のみ)や虱(しらみ)だと思えばいいのさ。肩につかまって、チクリチクリと刺しても、ただ痒(かゆ)いだけだ。生命に関りはしないよ」

※『海舟座談』より

さすがに斬られたら生命にかかわるでしょうが、それでもあえて「寄生虫にたかられたようなもの」と言い捨て、まともにとり合わなかった度量と覚悟。

それは暴力の横行を峻拒する新たな日本の姿を体現していたものと言えるでしょう。

嫌なもの、苦手なものを見て見ぬフリするのは確かにいくらか気楽です。

しかし相手をきちんと見据えた上で真正面から立ち向かった勝海舟の勇気を、少しでも見習いたく思います。

※参考文献:

  • 新渡戸稲造『武士道』岩波文庫、2003年6月
  • 勝部真長 校注『新訂 海舟座談』岩波文庫、1983年2月

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