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【大河べらぼう】尾張の板元・永楽屋東四郎(佃典彦)とは何者?その生涯をたどる

江戸時代
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NHK大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」皆さんも楽しんでいますか?

第41回放送「歌麿筆美人大首絵」では、更なる商機をつかむため、蔦重(横浜流星)は尾張名古屋の板元である永楽屋東四郎(えいらくや とうしろう)との商談に出張しました。

果たして彼は何者だったのでしょうか。今回は永楽屋東四郎について、その歴史をたどってみたいと思います。

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永楽屋の歴史

初代永楽屋東四郎(イメージ)

永楽屋東四郎とは安永5年(1776年)から昭和26年(1951年)まで175年にわたり、名古屋の地で代々営業していた屋号です。

※劇中に登場するのは、恐らく初代か2代目でしょう。

苗字は片野(かたの)氏、東壁堂(とうへきどう)という号も名乗って活動しています。

元は風月堂(ふうげつどう)の別家として開業し、尾張徳川家の藩校御用達となり、漢籍や教本などを出版しました。

他にも本居宣長(もとおり のりなが)の国学書や、葛飾北斎(かつしか ほくさい)の絵手本『北斎漫画』なども有名ですね。

はじめ『北斎漫画』は江戸の角丸屋甚助(かどまるや じんすけ)との合同出版でしたが、後に永楽屋の単独出版となりました。

北斎と交流したのは2代目と3代目で、4代目が『北斎漫画』をまとめた全編を刊行しています。

永楽屋の店舗位置は何度か移転しており、開業から安永9年(1780年)までは名古屋本町4丁目、寛政7年(1795年)までは同じく本町通7丁目玉屋町上之切で営業。それ以降は同じく玉屋町下之切に店を構えました。

やがて大正3年(1914年)に合資会社永東書店として法人化。屋号は永楽屋と東壁堂の頭文字をとったのでしょう。

しかし昭和26年(1951年)に廃業(※前年説もあり)。その歴史に幕が下ろされたのでした。

永楽屋東四郎・基本情報

『北斎漫画』奥付。左下に永楽屋東四郎の名がある(画像:Wikipedia)
  • 生没:生没年不詳
  • 本名:片野氏
  • 別号:東壁堂
  • 職業:板元
  • 開業:安永5年(1776年)風月堂より独立
  • 法人:大正3年(1914年)合資会社永東書店に
  • 廃業:昭和26年(1951年)

今回は尾張の板元・永楽屋東四郎について紹介してきました。

果たして彼は蔦重とどのような関係を築いて行くのでしょうか。物語を盛り上げる都合上、雨降って地固まる的な展開が予想されます。

第42回放送「招かれざる客」の初登場が楽しみですね!

※参考文献:

  • 井上隆明『日本書誌学大系76 改訂増補近世書林板元総覧』青裳堂書店、1998年2月
  • 浦上満『北斎漫画入門』文藝春秋、2017年10月
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