NHK大河ドラマ「光る君へ」皆さんも観ていますか?
劇中では妻まひろ(紫式部)の不実により、藤原道長の子供を育てることを選んだ藤原宣孝。
※紫式部と道長の不倫は創作(史実である可能性は低い)なので、ご安心ください。
確かに結婚前から「不実な女でも構わない」とは言ったものの、本当に不実を働くヤツがあるか!と思った視聴者は少なくないでしょう。
まぁそんな事より気になるのは宣孝の体調。まひろは微笑みながら「いびきの後に息が止まる」なんて観察日記をつけていましたが、睡眠時無呼吸症候群は深刻な病気につながるリスクがあるため、油断してはいけません。
※当時の医療水準で効果的な対策がとれたかどうかは分かりませんが……。
激務と病気で分かりやすく死亡フラグを立てていた宣孝。ご存知の通り、宣孝は長保3年(1001年)4月25日に病で生命を落とします。
具体的な病名については明らかにされていないものの、亡くなる数ヶ月前から心身の不調を訴えていた記録が残されていました。
果たして宣孝の死因は何だったのでしょうか。
痔病が再発。これが死因?
……右衛門権佐宣孝朝臣又申痔病発動之由……
※藤原行成『権記』長保3年(1001年)2月5日条【意訳】長保3年(1001年)2月5日のこと。右衛門権佐(うゑもんごんのすけ。右衛門府の臨時次官)である宣孝朝臣(あそん。朝廷の臣下)が、痔病を再発させたため、任務の辞退を申し出たそうだ。
……亡くなる2ヶ月ほど前、それまで激務に奔走していた宣孝が役目を辞退しました。
痔病とは現代の痔(じ、ぢ)と同じ病気を指しています。大量の下血と臀部・下腹部の痛みを伴ったことでしょう。
文中に「又申(またもうす)」とあるため、以前も申告したことがあるものと思われます。
少しくらいであれば、症状をおして拝命したでしょうが、どうやら我慢できなかったようです。
これが直接の死因になったかはともかく、この2ヶ月後に世を去ってしまったのでした。
もしかしたら、痔病とは外観で判断された限りであり、実際には大腸がんなどを患っていたのかも知れません。
ちょっと下血が多いし、たまに痛みもあるけど、放っておけばそのうち治るから心配なかろう……とタカをくくっていたのでしょう。
しかし体内ではがんが進行しており、気づいた時には手遅れに……という可能性も考えられます。
もちろん痔病と死因には直接の因果関係はないため、一概に痔が死因であるとは言いきれません。
通説では当時頻繁に発生していた流行り病(疫病)によって亡くなったと言われています。
あるいは様々な要因が重なって生命を落としてしまった可能性も考えられるでしょう。
終わりに
かくして長保3年(1001年)4月25日、宣孝は紫式部と一人娘の藤原賢子(けんし/かたいこ。大弐三位)を遺して世を去ったのでした。
実際には他の妻や子供らがいたため、格の劣る紫式部が看取った可能性は低いと思われます。
夫を喪った悲しみから立ち直るために紫式部は平安文学の最高傑作『源氏物語』を執筆し、また藤原彰子の女房として出仕するのでした。
藤原道長と接点を持つのはこれ以降と考えられています。
果たしてNHK大河ドラマ「光る君へ」では宣孝の最期がどのように描かれ、まひろはどのように悲しみと向き合い、立ち直るのでしょうか。
また一人娘の藤原賢子は奥手な母に似ず恋愛上手だったそうで、そちらの活躍も気になりますね。
※参考文献:
- 『権記』国立公文書館デジタルアーカイブ
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