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【光る君へ】紫式部の子孫たちは?『尊卑分脈』をたどってみた

平安時代
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NHK大河ドラマ「光る君へ」皆さんも楽しんでいますか?

ヒロインのまひろ(紫式部。吉高由里子)は藤原宣孝(佐々木蔵之介)と結婚し、やがて一人娘の藤原賢子(けんし/かたいこ。大弐三位)を授かります。

彼女は母親と正反対?で、数々の男性と恋物語を繰り広げるのでした。

かくして紫式部の血脈は後世に受け継がれていきますが、どこまで続くのでしょうか。

また紫式部の子孫がどんな人物だったのかも気になります。

そこで今回は『尊卑分脈』より紫式部の子孫をたどってみましょう。

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大弐三位(藤原賢子)の夫・高階成章

成章 蔵 大宰大弐 正三號欲大弐 後拾作者

※『尊卑分脈』高階氏

高階成章(たかしなの なりあきら)

永祚2年(990年)生~天喜6年(1058年)2月16日没

蔵人(くろうど。天皇陛下の側近)などを経て大宰大弐(だざいのだいに。大宰府の次官)を勤めました。

欲深い人物だったようで、人々からは欲大弐(よくだいに)と呼ばれたとか。

位階は正三位まで昇り、大弐三位(だいにのさんみ)という女房名は夫の官職と位階に由来します。

和歌に巧みで、勅撰和歌集『後拾遺和歌集』に作品が入選しました。

※ここで言う作者は選者・編者ではなく入選者の意味です。

成章の子供は高階章行(あきゆき)・高階章親(あきちか)そして高階為家(ためいえ)らがいました。

このうち大弐三位が生んだ=紫式部の血を引く子は為家と言われているので、以下は為家の直系子孫のみをたどっていきましょう。

大弐三位の子(紫式部の孫)・高階為家

高階為家(ためいえ)

為家 蔵 備中守 正四下

※『尊卑分脈』高階氏

長暦2年(1038年)生~嘉永元年(1106年)11月17日没

成章との年齢差は48歳、かなり晩年の子でした。

蔵人を経て備中守(びっちゅうのかみ。国司長官)などを歴任、正四位下(しょうしいのげ)まで昇ります。

紫式部の曾孫・高階為章

高階為章(ためあきら)

為章 丹波守 従四下

※『尊卑分脈』高階氏

康平2年(1059年)生~康和5年(1104年)12月20日没

丹波守(たんばのかみ)などを勤め、従四位下(じゅしいのげ)までは何とか昇れたものの、父には届きませんでした。父に先立つこと2年、36歳で卒去します。

紫式部の玄孫・高階宗章

高階宗章(むねあきら)

宗章 加賀守 正四下

※『尊卑分脈』高階氏

寛治5年(1091年)生~没年不詳

加賀守(かがのかみ)などを勤め、父祖と同じ正四位下まで昇りました。

紫式部の来孫・高階清章

高階清章(きよあきら)

清章 蔵 皇后宮大進 正四下

※『尊卑分脈』高階氏

生没年不詳

蔵人を経て皇后宮大進(こうごうぐうのだいしん)として内裏に仕えます。

生年は不詳ながら、これまでの父子年齢差を見るに20~30歳ほどなので、天永2年(1111年)~保安2年(1121年)の間に生まれたものと推定できるでしょう。

紫式部の昆孫・高階清定

高階清定(きよさだ)

清定 蔵

※『尊卑分脈』高階氏

生没年不詳

名前がナニ章のパターンから脱しましたね。

蔵人を務めた以外には何の記述もありません。蔵人は六位の者が務めることが多いため、五位以上には昇れなかったのでしょう。

一般的に蔵人は出世コースなので、何かやらかしてドロップアウトした可能性が考えられます。果たして、何をしでかしたのでしょうか。

紫式部の仍孫・高階為宗

高階為宗(ためむね)

為宗 蔵 刑部少輔 正五下

※『尊卑分脈』高階氏

生没年不詳

蔵人を経て形部少輔(ぎょうぶのしょうゆう)などを勤め、正五位下まで家勢を盛り返しました。

紫式部の雲孫・高階時宗

高階時宗(ときむね)

時宗 蔵 刑部少輔 従四上

※『尊卑分脈』高階氏

生没年不詳

父と同じキャリアをたどりつつ、従四位上へ昇ります。時の字は誰からもらったのか、気になるところです。

紫式部の末孫・高階宗成

高階宗成(むねしげ/むねなり)

宗成 蔵 刑部権少輔 右京大夫 従四上
続拾新後玉已下作者

※『尊卑分脈』高階氏

生没年不詳
蔵人を経て概ね父・祖父と同じルートをたどるかと思ったら、刑部「権(ごんの)」少輔でした(権は員数外の名誉職)。また右京大夫(うきょうのたいふ)を勤めています。

和歌にも巧みだったようで『続拾遺和歌集』『新後撰和歌集』『玉葉和歌集』などに入選しました。

紫式部の十世孫・高階成朝

高階成朝(しげとも/なりとも)

成朝 蔵 遠江守刑部少輔 右馬権頭 従四上
新後作者

※『尊卑分脈』高階氏

生没年不詳

蔵人を経て遠江守(とおとうみのかみ)・刑部少輔・右馬権頭(うまごんのかみ)を歴任しています。

父の歌才を受け継いだようで、和歌が『新後撰和歌集』にも入選しました。

紫式部の十一世孫・高階成兼

高階成兼(しげかね/なりかね)

成兼 続千作者

※『尊卑分脈』高階氏

生没年不詳

何の官職にもついておらず、また五位以上の位階も授からずに生涯を終えたようです。

歌才では父祖に負けず、和歌が『続千載和歌集』に収録されています。

終わりに

【紫式部・略系図】

……紫式部(藤原為時女)―大弐三位(藤原賢子)―高階為家―高階為章―高階宗章―高階清章―高階清定―高階為宗―高階時宗―高階宗成―高階成朝―高階成兼……

子・大弐三位(藤原賢子)
孫・高階為家
曾孫(ひまご/そうそん)・高階為章
玄孫(やしゃご/げんそん)・高階宗章
来孫(らいそん)・高階清章
昆孫(こんそん)・高階清定
仍孫(じょうそん)・高階為宗
雲孫(うんそん)・高階時宗
末孫(まっそん/ばっそん)・高階宗成
十世孫・高階成朝
十一世孫・高階成兼

今回は紫式部の子孫について『尊卑分脈』をたどってみました。

『尊卑分脈』の信憑性については諸説あるものの、少なくとも鎌倉時代までは続いたのでしょう。

果たしてNHK大河ドラマ「光る君へ」では、まひろの子孫がどこまで登場するのか、楽しみですね!

※参考文献:

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