エレキテルが効かないと知られるようになってから、いささか様子のおかしい平賀源内(安田顕)。当人曰く「弥七が図面を盗んで粗悪品をばらまいたせいで、自分が作ったものまで風評被害を受けている(意訳)」との事でした。
しかし松葉屋いね(水野美紀)が盗んだエレキテルは間違いなく源内当人が作ったものでしたから、その理屈は通りません。

しかし事実を指摘しても聞き入れられる状況ではないため、蔦屋重三郎(横浜流星)はしばらくそっとしておくのでした。
……NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」第2回放送「吉原細見『嗚呼御江戸』」で初登場以来、貧家銭内・福内鬼外など様々な名前で多彩を発揮。味わい深い好演で視聴者から愛されてきた平賀源内ですが、そろそろ退場が迫っています。
果たして平賀源内はどのような最期を遂げるのか、今回は平賀源内の死因とその後について紹介しましょう!
鉱山事業の挫折

功ならず 名斗(ばかり)遂て 年暮ぬ
※安永7年(1778年)暮れ、平賀源内
【意訳】少しばかり名前が知られるようにはなったが、暮らしはちっとも楽にならねぇ。今年もこのまま暮れていくのか。べらぼうめ!
……エレキテルのブームが去った平賀源内は、鉱山開発や執筆活動を続けますが、やはり生活は向上せずカツカツのままでした。
門人の平秩東作(へづつ とうさく)らも心配しますが、心配だけでは腹は膨れません。
鉱山開発も大きな成果は上げられず、「憤激と自棄(平秩東作の評)」に満ちた源内の暮らしは荒む一方でした。
今でも「山師」「山気(やまっけ)」「山勘(やまかん)」「ひと山当てる」などという言葉があるように、昔から鉱山開発は乗るか反るかの大博打。平賀源内に対する悪評は募り、ますます彼を追い込んだことでしょう。
人生が好転?しかけた矢先に……。

年が明けて安永8年(1779年)、相変わらず貧乏暮らしだった平賀源内の元に、大きな案件が舞い込みます。
とある大名屋敷の修繕依頼でした。この仕事をやり遂げれば、暮らし向きもかなり改善されるでしょう。
もちろん平賀源内はこれを快諾。その才覚を大いに活かして、安くて洗練された修繕計画図を引きます。
さて、引いた図面を形にするには職人の協力が欠かせません。そこで平賀源内は大工の棟梁・秋田屋九五郎(あきたや きゅうごろう)らに建築を依頼しました。
しかし11月20日に事件が起きます。明け方になって平賀源内はいきなり抜刀し、九五郎ら2人を斬り殺してしまったのです。
平賀源内の犯行動機は?

昨夜に祝い酒をしこたま呑んで酔っ払っていた平賀源内は、図面を見ている九五郎が図面を盗もうとしていると勘違いしたと言われています。
ここで「弥七にエレキテルの図面を盗まれた」というトラウマ(劇中の設定)が活きてくるのですね。
別説としては密貿易に手を染めており、門人の久五郎(きゅうごろう)と友人の丈右衛門(じょうゑもん)と口論になり、斬り殺してしまったと言われます。山分けの取り分で揉めていたのでしょうか。
大名屋敷の図面にせよ、密貿易にせよ、どちらも困窮したリアリティが怖いですね。
他にも男色がらみという説もありました。様々な要因が絡み合い、かねての鬱屈が暴発してしまったのかも知れません。
翌11月21日に投獄された平賀源内は、破傷風によって12月18日に世を去ってしまいました。享年52歳。
「常にあらざる」平賀源内

獄死した平賀源内の遺体は平秩東作が引き取ったとも言われますが、確かなことは分かりません。
生前親しかった蘭学医の杉田玄白(すぎた げんぱく)らが葬儀を上げようとしたものの、幕府から許可が下りず、遺体も墓碑もない状態での葬儀となりました。
嗟非常人 好非常事 行是非常 何非常死
【意訳】ああ常にあらざる人よ。あなたは常にあらざる事を好み、行いはこれ常にあらざりき。何ぞ常にあらざりて死するや。
これは杉田玄白が平賀源内へ贈った辞で、後に墓碑へ刻まれます。
常に常にあらざる異才をほとばしらせて時代を駆け抜けた平賀源内の、常にあらざる生き様を讃え、常にあらざる死を惜しんだのでした。
平賀源内は生きていた?

そんな常にあらざる英雄は人々の伝説となり、実は生きているという噂も流れたそうです。
曰く田沼意次(たぬま おきつぐ)に匿われたとか、故郷の高松藩に匿われたとか、その死を惜しむ人々の願望が囁かれました。
平賀源内が世を去って1世紀余りの大正13年(1924年)、政府から従五位を追贈されます。
生前の活躍を評価してのことでしょうが、平賀源内にしてみれば「てやんでぃ、そういうのは生きてる内に禄でよこせってんだ、べらぼうめ!」とか言いそうですね。
終わりに

今回は平賀源内の晩年を紹介してきました。
第15回放送「死を呼ぶ手袋」では、狂気に堕ちて死んでいく源内先生の姿が、又しても蔦重と視聴者のメンタルをゴリゴリと削っていくのでしょう。
いつも明るく、時に蔦重を励ましてくれただけに、その喪失は実に大きなものとなりそうです。
果たして大河べらぼうの源内先生がどんな最期を演じるのか、心して見届けましょう!
※参考:
- 大河ドラマ「べらぼう」でも踏み込んだ…天才・平賀源内は本当に「男ひとすじで歌舞伎役者が恋人」だったのか 蔦屋重三郎と組んだマルチクリエイターの知られざる挫折の生涯
- 山口博『日本人の給与明細 古典で読み解く物価事情』角川ソフィア文庫、2015年8月
- 『贈位諸賢伝』2巻、国友社、1927年7月