「坂東武者たちは、本当に身内同士の殺し合いが好きですね」
いつだったか、比奈(演:堀田真由、姫の前)がそんなことを言っていました。
確かに源頼朝(演:大泉洋)が亡くなってから承久の乱(承久3・1221年)が起こるまでの約20年間は御家人たちによる権力抗争が激化し、実に多くの流血事件が発生しています。
【ネタバレ注意!】頼朝の死から承久の乱までに起こる暗殺・粛清事件
- 梶原景時(演:中村獅童)討死←第28回放送「名刀の主」
- ☆阿野全成(演:新納慎也)処刑←第30回放送「全成の確率」
- ☆阿野頼全(演:小林櫂人)暗殺←第31回放送「諦めの悪い男」?
- 比企能員(演:佐藤二朗)暗殺←第31回放送「諦めの悪い男」?
- ☆源頼家(演:金子大地)暗殺
- 畠山重忠(演:中川大志)・畠山重保(しげやす。重忠の子)暗殺
- 畠山重慶(はたけやま ちょうけい。重忠遺児)暗殺
- 和田義盛(演:横田栄司)討死
- ☆栄実(えいじつ。頼家の遺児)暗殺
- ☆源実朝(演:柿澤勇人)暗殺
- ☆公暁(演:寛一郎)暗殺
- ☆阿野時元(あの ときもと。全成の遺児)討死
- ☆禅暁(ぜんぎょう。頼家の遺児)暗殺
(☆は鎌倉殿および源氏の血を引く者)
※合戦の死者などは除く。
……こう見ると、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で全成が悲しくも感動的な最期を遂げたのなんて、まだまだ序盤に過ぎないことがよくわかりますね。
ちなみに、承久の乱から鎌倉幕府の滅亡する約100年ちょっとで発生した暗殺・粛清事件はこの期間よりも件数が少ないというから驚きです。
頼朝という偉大なカリスマを喪ったことで権力抗争に歯止めがかからなくなり、承久の乱によって坂東武者が団結するまで、多くの血が流されたのでした。
とは言うものの、いくら暗殺と粛清の嵐が吹き荒れたとは言え、24時間365日そんなことばかりしていたのではありません。
時にはみんなで楽しく過ごした記録も『吾妻鏡』に残っており、特にお正月は華やかな新年会が連日催されたのでした。
今回は建暦3年(1213年)、将軍・源実朝はじめ御家人たちがどのように過ごしたのかを見ていきましょう。
初詣の後は、みんなで垸飯
天顏快霽。巳尅地震。午尅。將軍家御參鶴岡八幡宮。先廣元朝臣寄御車。此間。相州候廊根妻戸間給。陰陽少允親職候御身固。宮内兵衛尉公氏取御釼。授兵衛大夫季忠。供奉人參進。御車出南門之後。各騎馬。大夫判官基淸候最末。於宮寺被供養法華經如例。導師大學法眼行慈也。還御之後被刷垸飯之儀。廣元朝臣經營之。
※『吾妻鏡』建暦3年(1213年)1月1日条
御引出物役人
御釼 兵衛大夫季忠
御調度 和田左衛門尉義盛
御行騰沓 結城左衛門尉朝光
御馬五疋
この日は快晴、午前10:00ごろ(巳刻)に地震があったものの、大したことはなかったようです(天地が新年の目覚めにあくびでもしたのかも知れませんね)。
正午ごろ(午刻)になって、実朝が鶴岡八幡宮へ初詣に行きました。大江広元(演:栗原英雄)が牛車を手配し、北条義時(演:小栗旬)が随行します。
陰陽師の少允親職(しょうじょう ちかもと)が実朝に魔除けのおまじないをかけ、兵衛大夫季忠(ひょうゑのたいふ すえただ)が太刀持ちを務めました。
実朝の牛車が南門を出ると供奉の者らが従い、行列の最後尾は検非違使の大夫判官基清(たいふのほうがん もときよ)が清めていきます。
鶴岡八幡宮では大学法眼行慈(だいがくほうげん ぎょうじ)の指導によって法華経を上げ、八幡大菩薩に祈願したのでした。
将軍らしく物々しい初詣から御所へ戻ると、大江広元が垸飯(おうばん、饗応の酒宴。椀飯・埦飯とも)を構えます。
この日の引出物(将軍への献上品)を用意した者は以下の通り。
太刀:兵衛大夫季忠
弓矢:和田左衛門尉義盛
行縢(むかばき。乗馬用の袴)と沓(くつ。乗馬):結城左衛門尉朝光(演:高橋侃)
駿馬:5頭(記名なし。恐らくホストの大江広元が負担)
この場合、垸飯の費用は広元の負担。引出物についても名前の挙がった各人による負担ですが、御家人たちにとっては出費以上に大きな喜びでした。
「今年一年、それがしの献上した太刀をお佩き下され」「この調度(弓矢)を」「行縢を……」
自分が用意した引出物を鎌倉殿がお使い下さることを誇りとし、その光景を目にするたび喜びを満喫できたことでしょう。
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連日にわたる垸飯振る舞い
とまぁそんな感じで、垸飯振る舞いが1月4日まで連日続きます。
相州被献垸飯。
※『吾妻鏡』建暦3年(1213年)1月2日条
御進物役人
御釼 武藏守
御調度 左近大夫朝親
御行騰沓 民部大夫康俊
一御馬 伊賀次郎兵衛尉 同三郎
二御馬 三浦九郎左衛門尉 佐原又太郎
三御馬 佐々木左近將監 加地六郎
四御馬 藤内左衛門尉 加藤兵衛尉
五御馬 南條七郎 曾我小太郎
1月2日のホストは北条義時(相州)。引出物を用意したメンバーがこちら。
太刀:北条時房(演:瀬戸康史)
弓矢:左近大夫朝親(さこんのたいふ ともちか)
行縢と沓:三善民部大夫康俊(みよし みんぶのたいふやすとし。三善康信の子)
駿馬1頭目:伊賀次郎兵衛尉光宗(いが じろうひょうゑのじょうみつむね)と伊賀三郎光資(さぶろうみつすけ)
駿馬2頭目:三浦九郎左衛門尉胤義(みうら くろうざゑもんのじょうたねよし)と佐原又太郎(さはら またたろう)
駿馬3頭目:佐々木左近将監信綱(ささき さこんのしょうげんのぶつな)と加治六郎(かじ ろくろう)
駿馬4頭目:藤内左衛門尉(とうないさゑもんのじょう)と加藤兵衛尉(かとう ひょうゑのじょう)
駿馬5頭目:南條七郎(なんじょう しちろう)と曽我小太郎祐綱(そが こたろうすけつな)
武州被沙汰進垸飯。
※『吾妻鏡』建暦3年(1213年)1月3日条
進物役人
御釼 小山左衛門尉朝政
御調度 山城判官行村
御行騰沓 三浦九郎左衛門尉胤義
一御馬 武藏太郎 肥田八郎
二御馬 足立八郎兵衛尉 同九郎
三御馬 吉良次郎 同三郎
四御馬 豊嶋小太郎 同又太郎
五御馬 大和判官代 同進士
1月3日のホストは北条時房、引出物を用意した顔ぶれがこちら。
太刀:小山左衛門尉朝政(演:中村敦)
弓矢:二階堂山城判官行村(にかいどう やましろほうがんゆきむら。二階堂行政の子)
行縢と沓:三浦胤義
駿馬一頭目:北条太郎時盛(ときもり。時房の子)と肥多八郎宗直(ひだ はちろうむねただ)
駿馬二頭目:足立八郎兵衛尉元春(あだち はちろうひょうゑのじょうもとはる。足立遠元の子)と足立九郎(くろう)
駿馬三頭目:吉良次郎(きら じろう)と吉良三郎(さぶろう)
駿馬四頭目:豊島小太郎(としま こたろう)と豊島又太郎(またたろう)
駿馬五頭目:大和判官代(やまとほうがんだい。藤原邦通?)と同じく進士(しんし。大和判官代の身内と思われるが実名不詳)
垸飯。和田左衛門尉義盛沙汰之。
※『吾妻鏡』建暦3年(1213年)1月4日条
進物役人
御劔 三浦左衛門尉義村
御調度 伊賀守朝光
御行騰沓 和田新左衛門尉常盛
御馬五疋
其後。將軍家入御相州御亭。次渡御若宮別當雪下本坊。秉燭之程令還御給云々。
「さぁ、今度は俺の番だ!」とばかり、4日目の垸飯を構えたのは和田義盛。引出物はこちらの面々による提供です。
太刀:三浦左衛門尉義村(演:山本耕史)
弓矢:伊賀守朝光
行縢と沓:和田新左衛門尉常盛(わだ しんざゑもんのじょうつねもり。義盛の子)
駿馬5頭:特に記名無し(和田一族の面々と思われる)
大いに盛り上がった後に実朝は義時の館を訪ね、続いて雪の下にある鶴岡八幡宮別当の公邸にも顔を出します。
夕方、日の暮れることになって御所へ帰り、連日にわたる新年会が幕を下ろしたのでした。
しかし、こんなに毎年々々引出物を献上されていては実朝も使い切れなさそうです。もしかしたら、お古になった太刀や弓矢は他の御家人たちに下げ渡したのかも知れませんね。
御所から賜り物とあれば、御家人たちのやる気が高まるのは言うまでもなく、一品で二度おいしく活用できたことでしょう。
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終わりに
他にも鎌倉幕府の新年行事として御行始(ごこうはじめ。新年最初の外出)や御鞠始(おんまりはじめ。新年最初の蹴鞠)などがあり、御家人たちもめいめい楽しんだものと思われます(中にはこういう社交儀礼が苦手な御家人もいたでしょうが……)。
ちなみにこの年のホストは北条兄弟と和田義盛ですが、建暦3年(1213年)と言えば5月2日から3日にかけて和田合戦が勃発します。
和田一族が滅び去るまであと4ヶ月に迫っていた中でも、張り合うように実朝やみんなをもてなし、席を同じく酒を呑んでいた義時と義盛。
その胸中はきっと複雑だったことでしょうが、それでも「たとえ明日殺し合うことになろうと、今ばかりは楽しもう」と楽しんだのではないでしょうか。
もちろん、それと同時進行で来るべき決戦に備えて御家人たちに対して周到な根回し・政治工作を行って(行わせて)いたであろうことは、言うまでもありません。
楽しむ時は心から楽しみ、殺し合う時は全力で殺し合う。そんな坂東武者たちの異様な人間関係こそ、平安・鎌倉時代に独特な空気感をもたらしています。
かつて苦楽を共にして、数々の試練を乗り越えてきた仲間を殺し殺し殺して、鎌倉殿の執権として権力の座についた義時。
♪……縱使有 千萬種 寂寞和 孤單相伴
※洛天依「権御天下」より
既受終 冠帝冕 龍椅上 成敗也笑看……♪
【意訳】たとえいかなる孤独と寂しさに襲われようと、あらゆる代償の末にここまで来たのだ。誰が相手だろうと容赦はしない。
たとえ一天万乗の帝が相手であろうと、この鎌倉を守り抜く。そうでなければ、かつて共に酌み交わし、泣いて笑って殺していった仲間たちに申し訳がありません。
といった決意をもって後鳥羽上皇(演:尾上松也)との決戦(承久の乱)に臨んでいることを思うと、大河ドラマの鑑賞もより感慨深く楽しめることでしょう。
※参考文献:
- 五味文彦ら編『現代語訳 吾妻鏡 7 頼家と実朝』吉川弘文館、2009年11月
- 田中大喜『図説 鎌倉幕府』戎光祥出版、2021年5月
- 角田文衛 監修『平安時代史事典』角川書店、1994年4月
- 細川重男『頼朝の武士団 鎌倉殿・御家人たちと本拠地「鎌倉」』朝日新書、2021年11月
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