豊臣秀吉の天下獲りを支えた豊臣秀長(羽柴秀長)。彼には一男二女がいました。
羽柴与一郎(よいちろう)・女子(羽柴秀保室)・そしてきく(大善院)の3人です。
今回は秀長の次女・きくについて紹介したいと思います。果たして彼女は、どんな女性だったのでしょうか。
毛利秀元の正室となる

きくは天正16年(1588年)に誕生しました。生母は不明で、正室(慈雲院)や側室(摂取院)よりも身分の低い女性だったと言われています。
そのため、きくの出自や生い立ちなどについて、詳しいことは分かっていません。
天正19年(1591年)に父・秀長が亡くなり、やがて慈雲院の養女となりました。文禄3年(1594年)に姉が羽柴秀保に嫁いだ際は慈雲院に次ぐ立場として扱われています。
後に伯父・豊臣秀吉の養女となり、文禄4年(1595年)2月に毛利秀元(毛利輝元の養子)と結婚。正室として迎えられました。
慶長3年(1598年)に養父の秀吉が世を去り、慶長4年(1599年)に夫の秀元が毛利家から独立します。
しかし慶長5年(1600年)の関ヶ原合戦では西軍に属し、敗れて18万石中の17万石を減封される憂き目を見ました。
不遇をかこつ中、慶長14年(1609年)11月29日にきくは22歳の若さで世を去ったのです。
法名は大善院月澗宗照(だいぜんいん げっかんそうしょう)、墓所は父・秀長の菩提寺である大徳寺大光院(京都市北区)にあります。
きく(大善院)基本データ

- 生没:天正16年(1588年)生~慶長14年(1609年)11月29日没(享年22歳)
- 名前:きく
- 両親:羽柴秀長/生母不詳
- 養親:養母 慈雲院(実父の正室)⇒養父 羽柴秀吉(伯父)
- 兄弟:羽柴与一郎、女子(羽柴秀保室)
- 伴侶:毛利秀元
- 子女:不明(なし?)
- 法名:大善院月澗宗照
- 墓所:大徳寺大光院
終わりに
今回は羽柴秀長の次女・きくについて紹介してきました。
果たして令和8年(2026年)NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」では、彼女が登場する機会はあるのでしょうか。
そして登場するなら、誰がキャスティングされるのかも気になりますね!
※参考文献:
- 黒田基樹『羽柴秀吉とその一族 秀吉の出自から秀長の家族まで』角川選書、2025年5月
- 『豊臣秀長のすべて』新人物往来社、1996年7月