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【光る君へ】まひろ(紫式部)の母がわり?若くして亡くなった実姉(藤原為時長女)の生涯

平安時代
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平安文学の最高傑作として名高い『源氏物語』。その作者として知られる紫式部(役名”まひろ”)は、幼くして母(藤原為信女。役名”ちやは”)と死に別れてしまいました。

まだ3歳くらいだった”まひろ”を育てたのは、同じ母から生まれた姉。

NHK大河ドラマ「光る君へ」にはまだキャストが発表されていないようですが、果たして登場するのでしょうか。

今回はそんな”まひろの姉(藤原為時長女)”について、その生涯をたどってみたいと思います。

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“ちやは”亡き後、”まひろ”の母親代わりを務めた?

藤原為時長女(イメージ)

藤原為時長女は生年不詳(天禄2・971年ごろか)、実名も明らかになっていません。母親が”ちやは(藤原為信女)”なのは確かなようです。

長徳2年(996年)に父・為時が越前へ赴任する時には存在しておらず、これ以前に亡くなったと考えられています。死因は天然痘だとか。

幼いころから母親代わりを務めていたであろうことから、彼女を喪ったことは”まひろ”にとって大きな影響を与えたことでしょう。

例えば”まひろ”が親しく交流していた筑紫の君(平維将の次女)を姉君と呼ぶようになるなど、寂しかったことが察せられます。

一方筑紫の君も妹を亡くしていたため、”まひろ”を中の君(妹)と呼んで。よりいっそう可愛がったそうです。

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終わりに

紫式部。鳥居清長筆

以上、”まひろ”の姉(藤原為時長女)について、短い生涯をたどったというかのぞいてみました。

NHK大河ドラマ「光る君へ」に登場するかは分かりませんが、もしかしたら彼女の代わりに”ちやは”がもう少し長生きする筋書きなのかも知れません(どっちが生きていても、ストーリー上支障はないため)。

果たしてどんな配役になるのか、今から楽しみですね!

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【光る君へ”まひろ”の家族たち】

まひろ(紫式部)……天延元年(973年)?生~長元4年(1031年)?没

父・藤原為時……天暦3年(949年)?生~長元2年(1029年)?没

母・ちやは(藤原為信女)……生年不詳~天延2年(974年)?没

姉・藤原為時長女……天禄2年(971年)?生~長徳2年(996年)以前没

兄弟・藤原惟規(のぶのり)……天延2年(974年)?生~寛弘8年(1011年)没
※兄説と弟説の両方があるようです。NHK大河ドラマ「光る君へ」では弟説を採用。

※”まひろ”と血縁のある者のみ。ほか兄弟姉妹に藤原惟通・定暹(出家)・女子(藤原信経室)などがいました。

※参考文献:

  • 角田文衞『紫式部の世界』法蔵館、1984年12月
  • 萩谷朴『紫式部日記注釈 上巻』角川書店、1971年11月

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