NHK大河ドラマ「光る君へ」もうそろそろおしまいですね。
主人公・まひろ(吉高由里子)のモデルとなっている藤式部(とうのしきぶ。紫式部)は没年不明(諸説あり)ですが、そのお相手役となっている藤原道長(柄本佑)は万寿4年(1027年)に亡くなりました。
よって物語もこの辺りの時期が終幕となるのでしょう。
ところで道長と同時代を生きた人々は、一体いつまで生きるのか、気になっている方も少なくないと思います。
そこで今回は、道長よりも長生きした人々の没年を一挙に紹介。大河ドラマ「光る君へ」の後に思いを馳せる縁(よすが)になれば幸いです。
まひろ一家
- まひろ(吉高由里子) 没年不詳
- 藤原為時(岸谷五朗) 没年不詳
- 藤原賢子(南沙良) 永保2年(1082年)ごろ 84歳?
藤原賢子は高階成章(たかしなの なりあきら)と結婚し、大弐三位(だいにのさんみ)と呼ばれました。
母とは正反対に、恋多き女性として知られています。彼女を主人公に大河ドラマを作っても面白そうですね。
道長一家(正室家)
- 源倫子(黒木華) 天喜元年(1053年)6月1日薨去 90歳
- 藤原彰子(見上愛) 承保元年(1074年)10月3日崩御 87歳
- 藤原頼通(渡邊圭祐) 延久6年(1074年)2月2日薨去 83歳
- 藤原教通(姫小松柾) 承保2年(1075年)9月25日薨去 80歳
- 藤原威子(佐月絵美) 長元9年(1036年)9月6日崩御 37歳
威子を除き、みんな80代越えの長寿を誇りました。
彰子が偉大な国母として成長を遂げる様子に、もっとクローズアップしても面白いでしょう。
道長一家(側室家)
- 源明子(瀧内公美) 永承4年(1049年)7月22日薨去 85歳
- 藤原頼宗(上村海成) 康平8年(1065年)2月3日薨去 73歳
- 藤原能信(秋元龍太朗) 康平8年(1065年)2月9日薨去 71歳
- 藤原尊子(登場なし) 寛治元年(1087年)7月7日?薨去 85歳?
- 藤原長家(豊田裕大) 康平7年(1064年)11月9日薨去 60歳
正室である源倫子一家に比べて割を食いがちな源明子一家。
それでも道長の側室ですから、傍目には羨ましい人生でした。
道長の縁者・関係者
- 隆姫女王(田中日奈子) 寛治元年(1087年)11月22日薨去 93歳
- 源道方(植木祥平) 長久5年(1044年)9月25日薨去 77歳
- 赤染衛門(凰稀かなめ) 長久2年(1041年)以降 86歳?
劇中では儚げ?な感じでしたが、実に93歳という長寿を誇った隆姫女王。
赤染衛門ともども、どんな晩年を過ごしたのか気になります。
朝廷の人々
- 藤原実資(秋山竜次) 永承元年(1046年)1月18日薨去 90歳
- 藤原公季(米村拓彰) 長元2年(1029年)10月17日薨去 74歳
- 藤原公任(町田啓太) 長久2年(1041年)1月1日薨去 75歳
- 藤原斉信(金田哲) 長元8年(1035年)3月23日薨去 69歳
- 藤原隆家(竜星涼) 寛徳元年(1044年)1月1日薨去 66歳
- 藤原通任(古舘佑太郎) 長暦3年(1039年)6月薨去 66歳
- 藤原資平(篠田諒) 治暦3年(1067年)12月5日薨去 82~83歳
大河ドラマ「実資の日記」もしくは「実資のスマホ」に期待が高まる今日このごろ。
彼がブツクサ言いながら日記を認(したた)めていく様子は、きっと見ていて飽きないでしょう。
皇族の方々
- 後一条天皇(高野陽向) 長元9年(1036年)4月17日崩御 29歳
- 敦良親王(配役なし。後朱雀天皇) 寛徳2年(1045年)1月18日崩御 37歳
- 脩子内親王(海津雪乃) 永承4年(1049年)2月7日薨御 53歳
- 敦明親王(阿佐辰美) 永承6年(1051年)1月8日薨御 58歳
皆さん長生きかと思いきや、こちらは比較的短命な方が多いようです。
脩子内親王や敦明親王の生涯も、より深く見ていきたいと思います。
終わりに
- 清少納言(役名ききょう。ファーストサマーウイカ) 没年不詳
ここで紹介されていない人物は、少なくとも道長よりも先に世を去るので覚悟してください。
※藤原行成(渡辺大知)は道長と同日に薨去します。まさにソウルメイトでした。
さて、それぞれどんな最終回を迎えるのか、最後まで見届けていきましょう!
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