時は寛仁3年(1019年)3月から4月にかけて、大陸から渡ってきた海賊が対馬・壱岐・大宰府など九州北部沿岸を襲撃。人々に甚大な被害をもたらしました。
海賊らは刀伊(とい。女真族)と呼ばれる異民族で、この騒動は後世「刀伊の入寇」と呼ばれます。
その数およそ3,000とも呼ばれた刀伊の軍勢を迎え撃ったのは、大宰府はじめ現地に散らばる在地の武者たち。おのおの大いに武功を立て、後世の誉れとしたのでした。
今回はそんな武者の一人である源知(みなもとの しるす)を紹介。果たして彼はどんな活躍をしたのでしょうか。
多くの賊徒を射殺す
源知は生年不詳、出自や家族についても詳しいことは分かっていません。
ただ源綱(渡辺綱。頼光四天王)のように一文字名ということは、彼らと同じ嵯峨源氏だったのではないかと考えられます。
刀伊の入寇に際しては肥前国松浦郡(長崎県松浦市など)で敵を迎え撃ち、多くの賊徒を射(い)殺したということですから、弓の名手であったことは間違いなさそうです。
また当時は前肥前介(さきのひぜんのすけ。前は元職、介は国司の次官)とあることから、肥前介を経験していたことが分かります。
戦後は恩賞に与ったものの、その後どうなったのかについてよく分かっていません。
もちろん没年や最期の様子も不明。おそらくは松浦の地で子孫を増やし、勢力を伸ばしたことでしょう。
源知・基本データ
生没:生没年不詳
出自:嵯峨源氏?
両親:不明
兄弟:不明
妻妾:不明
子女:不明
官職:肥前介
特技:弓など
備考:刀伊の入寇で活躍。松浦郡を守備
終わりに
今回は刀伊の入寇で活躍した源知について紹介しました。
国司次官として一定の地位を得ていたこと、そして刀伊の軍勢に武勇を奮ったことくらいしか分かっていません。
NHK大河ドラマ「光る君へ」ではキャスティングがいないため、おそらく登場しないのでしょう。
他の武者たちと戦場が離れているので仕方ないのですが、遠く松浦の地を死守している源知の勇姿を思い浮かべながら第46回放送「刀伊の入寇」を見届けたいと思います。
※参考文献:
- 関幸彦『刀伊の入寇 最大の対外危機』中央公論新社、2021年8月
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