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【歴人録】小栗忠順に仕えた武笠祐左衛門とは何者?その生涯をたどる【逆賊の幕臣】

幕末維新
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令和9年(2027年)大河ドラマ「逆賊の幕臣」では、幕末維新に活躍した小栗忠順(おぐり ただまさ。小栗上野介)の生涯が描かれます。

今回は小栗上野介に仕えた武笠祐左衛門(むかさ ゆうざえもん)を紹介。果たして彼はどんな人物で、どんな生涯をたどったのでしょうか。

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小栗家の用人を務める

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武笠祐左衛門は武笠長左衛門(ちょうざえもん)の息子として、武蔵国篠原村(埼玉県さいたま市)に誕生しました。生まれた年や母親について、詳しいことはわかっていません。

武笠家は小栗家に代々仕える家柄で、祐左衛門は忠順の父・小栗忠高(ただたか)の代から仕えています。

祐左衛門は小栗家の給人を務め、後に用人として小栗家の家政や所領経営を支えました。

給人(きゅうにん)とは所領経営の実務を担当し、その手腕が武家の存続に大きく影響する役職です。

用人(ようにん)とは主君の用命を家臣たちに伝達する役職で、上意下達をスムーズに取り持つ才覚が問われました。

こうした職責に堪えたことから、祐左衛門は小栗家中でもその実務能力が高く評価されていたことでしょう。

主君との別れ

小栗上野介(画像:Wikipedia)

そんな祐左衛門は小栗上野介のそば近く仕えて活躍しますが、慶応4年(1868年。明治元年)に戊辰戦争が勃発します。

薩長藩閥称するところの「新政府軍」による倒幕の兵が挙がり、幕府軍が鳥羽伏見の戦いに敗れると、小栗上野介は妻子らと江戸から出立しました。

祐左衛門は妻のタカとともに江戸駿河台の屋敷を任され、主君の不在を守ります。

しかし小栗上野介は二度と戻ることはなく、上野国権田村(群馬県高崎市)の所領で新政府軍に捕らわれ、養子の小栗忠道とともに処刑されてしまいました。

主君の死を知った祐左衛門夫婦は、かくなる上は長居も無用と江戸駿河台の屋敷から退去します。

そしてタカの兄である永田庄左衛門鷹習(ながた しょうざえもん たかしげ/ようしゅう)を頼り、武蔵国篠原村(埼玉県さいたま市)へ移り住みました。

逆賊として処刑された小栗上野介の関係者と知られれば、命の保証はありません。祐左衛門一家はさぞかし不安な日々を送っていたことでしょう。

それでもしばらく経つと、旧幕臣・関係者に対する追及のほとぼりも冷めたようです。祐左衛門は処刑された小栗上野介や家臣たちの位牌をこしらえ、道香院(埼玉県さいたま市)で供養しました。

月日は流れて明治10年(1877年)6月5日、祐左衛門は永田家で世を去ったそうです。

武笠祐左衛門・基本データ

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生没:生年不詳~明治10年(1877年)6月5日没

出身:武蔵国篠原村(埼玉県さいたま市)

両親:武笠長左衛門/生母不詳

主君:小栗忠高→小栗忠順→小栗忠道(3代に奉公)

身分:小栗家給人→用人

伴侶:永田タカ

子女:武笠イツ、武笠銀之介

死没:武蔵国篠原村(埼玉県さいたま市)

終わりに

今回は小栗上野介に仕えた武笠祐左衛門の生涯をたどってきました。

祐左衛門とタカの間には娘イツと息子の武笠銀之介(ぎんのすけ。銀介)がおり、それぞれの人生をたどっています。

果たして大河ドラマ「逆賊の幕臣」では、彼ら武笠一家がどのように描かれるのか、楽しみに見守りましょう。

※参考文献:

  • 北川邦夫『評伝 武笠祐左衛門と子の銀介 小栗上野介忠順の家臣』さきたま出版会、2026年7月
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