NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」第32回放送「賤ヶ岳(しずがたけ)の決闘」で、中川清秀(なかがわ きよひで)の名誉を損なう改変がありました。
劇中では、清秀が天正11年(1583年)の賤ヶ岳合戦で羽柴秀吉(池松壮亮)を裏切り、前田利家(大東駿介)に殺されるという描写がされています。
しかし実際の清秀は裏切りどころか、むしろ最期まで勇敢に戦い抜きました。
地元の英雄を、してもいない裏切り者にでっち上げられてはたまりません。
そこで中川家にゆかりの深い大分県竹田市では、史実を伝えるパネル展「戦国の猛将 中川清秀―賤ケ岳(しずがたけ)合戦の真実」を緊急企画しました。
最期まで戦い抜いた清秀の心意気

パネル展示は全7枚で構成され、清秀の肖像画や関連文書、解説絵図などから清秀の人物像に迫る内容となっています。
中川家の動静を記録した文献では、清秀が仲間から「もう持ちこたえられないから、大岩山砦を放棄して、他の砦へ合流すべき」旨を呼びかけられますが、清秀はこれを断りました。
「大臆病ノ輩ニ何ゾ組スベキ」
【意訳】なぜ臆病者どもとつるまねばならんのだ(たとえここで討ち死にしようと、わしだけでも最期まで戦うぞ)!
その宣言どおり、清秀は果敢に戦い、そして命を落としたのです。
パネル展示に携わった佐藤晃洋学芸員(66)は「史料に基づき、清秀の戦いぶり、その思いを知ってもらえれば」とコメントしました。
人間誰だって我が身は可愛い、命は惜しいが当たり前です。しかしそうした我欲を越えて、名誉のために尊い命を投げ打った男たちがいました。
そんな戦国武士たちの心意気に、思いを馳せていただけたら幸いです。
清秀の死を悲しむ秀吉

さて、賤ヶ岳の戦いで清秀討ち死にの悲報に接した秀吉は、小一郎(羽柴秀長)を罵倒しています。
「(清秀を死なせるような失態を演じるとは、)弟とは言え、所詮お前は種違い(父親の違う兄弟)だ!」
優秀な自分と血はつながっていても、胤(タネ。父親の血統)は異なるお前は劣っている。とんでもない言いがかりですが、それほどまでに秀吉は清秀を失ったことを嘆き悲しみました。
その影響は、清秀の子供たちにも及んでいます。
清秀亡き後、長男の中川秀政(大友至恩)が家督を継いだものの、不注意から落命してしまいました。朝鮮征伐の陣中で鷹狩りに興じていたところ、敵の奇襲を受けてしまった結果です。
当時こういう不始末で死んだ場合、改易されるのが秀吉政権下のルールになっていました。しかし秀吉は「賤ヶ岳で命を捨てて忠義をまっとうした清秀に免じて」次男の中川秀成(ひでしげ)に家督継承を許したのです。
所領は半減されてしまっても、家督を受け継げたのは特例中の特例でした。このお陰で、秀成は豊後国岡藩(竹田藩)を興し、後世へ受け継げたのです。
終わりに

今回は、大河ドラマであまりに不名誉な描かれ方をした中川清秀のため、地元で開催されたパネル展について紹介しました。
いくらフィクションであったとしても、実在の人物を登場させる以上、彼らの名誉を重んじる作劇を期待したいところです。
パネル展は特に期間を定める開催しているようなので、お時間がある方はぜひとものぞいてみてください!
※参考:

