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平安時代のシルバー人材センター?散位寮とはどんな機関だったのか

平安時代
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日本史を勉強していると、官位という言葉がちょくちょく登場します。

これは官職と位階(いかい)を合わせた言葉です。

官職は文字通り公の職務。位階は朝廷より与えられた人間の位≒偉さになります。

官位は必ずしもセットではなく、官職があっても無位(无位)であったり、逆に位階があっても官職にありつけないケースは少なくありません。

この「位階はあっても官職がない」状態を散位(さんい。さんに)と呼び、彼らにはほとんど収入がなかったそうです。

ちなみに官職にありつけない意味から散官(さんかん)とも呼ばれました。

よく気位なんて言うように、実態のほとんどない位階だけあっても単なる気休め。飯が食えねば、世の中は渡っていけません。

さて、位階≒名誉はあっても官職≒収入がない散位の人たち。彼らはどうやって飯を食っていたのでしょうか。

今回は、彼らに仕事をあてがっていた散位寮(さんにりょう)について紹介したいと思います。

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人材派遣?セーフティネット?散位寮の職務やスタッフ

正規の官職ではなくても、何かしらの仕事にありつけるのはありがたい(イメージ)

散位寮の主な職務は以下の通りでした。

一、散位を名簿によって管理する。
一、散位たちに考課を行う。
一、散位たちを他部署の応援に派遣する。

考課を行うのは、優秀な人材を官職に抜擢するため。また他部署への応援は当人の職歴や適性に基づいて派遣されたのでしょう。

散位は退官者が多かったため、散位寮は言わば平安時代のシルバー人材センターと言ったところです。

散位寮に常勤する職員は以下の通り。散位を除き、彼らにはちゃんと官職があります。

  • 散位頭(さんにのかみ。一等官)従五位下相当/定員1名
  • 散位助(さんにのすけ。二等官)従六位上相当/定員1名
  • 散位允(さんにのじょう。三等官)従七位下相当/定員1名
  • 散位大属(さんにのだいさかん。四等官)従八位下相当/定員1名
  • 散位少属(さんにのしょうさかん。四等官)大初位上相当/定員1名
  • 史生(ししょう)無位/定員6名→のち4名に削減
  • 散位(位階は様々。定数は不定)
  • 使部(つかいべ)
  • 仕丁(してい/しちょう)

散位たちのうち、五位以上の位階がある者については長上(ちょうじょう。常勤)しました。

六位以下の者については番上(ばんじょう)、つまり非常勤です。分番(ぶんばん)とも呼ばれます。

散位には京官(中央勤務)と外官(地方勤務)、文官と武官の違いがありました。

武官については兵部省の管轄下にも置かれ、朝廷の警固に当たります。

こうした副業?収入のおかげで、官職にありつけない者たちも糊口をしのげたのでした。

いわば平安貴族たちのセーフティネットだったとも言えるでしょう。

終わりに

「お前、今日は何するの?」「俺はブラブラするよ。お前は?」(イメージ)

しかし散位は寛平8年(896年)に式部省へ合併してしまいます。

散位の事務は式部省で行われたものの、散位制度が形骸化していたことから、程なく姿を消したのでした。

こういう華やかさのない、だけど意外と人材確保に貢献しているこういう部署って、何か好きです。

律令制度の官公庁はまだまだ他にもあるので、改めて紹介したいと思います。

※参考文献:

  • 『国史大辞典 6』吉川弘文館、1985年
  • 『日本史大事典 3』平凡社、1993年
  • 『日本古代史事典』朝倉書店、2005年

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