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なんと119歳!ギネス記録の最高齢女性・田中カ子が生まれた明治36年ってどんな時代だった?

明治時代
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報道によると、令和4年(2022年)4月19日に世界最高齢女性だった田中カ子(たなか かね)さんが119歳107日で亡くなられたそうです。

※パッと見「りきこ」さんかと思いきや、カタカナの「カ」に十二支の「子(ね)」で「かね」さんなのですね。

日本およびアジア史上で最も長生きし、世界全体ではフランスのジャンヌ=ルイーズ・カルマン(1875年2月21日生~1997年8月7日没。122歳164日)についで第2位の記録を誇った彼女。

若き日の田中カ子。画像:Wikipedia

明治36年(1903年)1月2日に福岡県糟屋郡和白町(現:福岡市東区)で農業を営む太田家の3女(9人兄弟の7番目)として生まれ、大正11年(1922年)に従兄弟の田中英男と結婚します。

激動の昭和を乗り越えた平成5年(1993年)、70年以上連れ添った夫(90歳)に先立たれてからも20年以上の歳月を生き抜きました。

よく結婚50周年の記念を金婚式と言いますが、結婚70周年はプラチナ婚式と言うそうです。酸いも甘いもかみ分けた二人の絆は、まさに奇跡の輝きを放っていたことでしょう。

ところで、彼女が生まれた明治36年(1903年)とはどんな時代だったのでしょうか。

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国家の存亡を賭けた、ロシア帝国との対決前夜

明治36年(1903年)と言えば、日本史の授業で教わる日露戦争(明治37・1904年~同38・1905年)の前年であり、ロシア帝国(1721年~1917年)との開戦を控えて国民の緊張が高まっていました。

海を隔てて朝鮮半島には大韓帝国(だいかんていこく。1897年~1912年)、そして大陸には清王朝(しん。1616~1912年)が広がっており、北のロシア帝国といずれも王朝国家が並んでいます。

もちろん日本も当時は大日本帝国と称した王朝国家であり、現代でも皇室の権威に基づいて国民統治(政治)を行う君主国家です。

南に目を向ければ台湾は日本の領土となっており、東南アジアやオセアニアもその大部分が西欧列強の植民地でした。

北や西には王朝国家、南には西欧諸国の植民地が広がり、太平洋を隔てて東には北米大陸を掌握したアメリカが、大海原にフロンティアを求めています。

世界を侵略するロシアを風刺した「滑稽欧亜外交地図」。

そんな世界の真っただ中にあって、明治維新から間もない日本が独立を守るために採るべき道は、朝鮮半島そして満洲地方の安全を確保すること。

朝鮮半島から大陸へ北上を目指す日本と、建国以来の目標である不凍港(ふとうこう。冬でも凍らない=ずっと貿易のできる港)を求めて南下するロシアの衝突は、いずれ避けられない運命でした。

「皇国興廃在此一戦 各員一層奮励努力」

【読み】こうこくのこうはい、このいっせんにあり。かくいんいっそうふんれいどりょくせよ

【意訳】日本が栄えるも滅びるも、すべてこの一戦にかかっている。みんな、死ぬ気で戦え!

明治38年(1905年)5月27日、日本海(対馬沖)でロシアのバルチック艦隊を邀撃した連合艦隊司令長官・東郷平八郎(とうごうへいはちろう)の指令どおり、ここで負けたら日本はもう後がありません。

日本海海戦に臨んだ東郷元帥ら。東城鉦太郎『三笠艦橋之圖』

他のアジア諸国と同じく国土は蹂躙され、何もかも奪われ、破壊され、殺し尽くされ……わずかに生き残った者たちは奴隷として屈従を余儀なくされます。

すでにアジアの人々は、いわゆる大航海時代(15世紀末)より数百年にわたり、そのような境遇にあったのでした。

そうなりたくないからこそ日本は自らの意志をもって維新し(生まれ変わり)、近代国家としての歩みを進めて来たのです。

終わりに

さぁ、ここが日本の大勝負……国民の誰もが国家存亡の危機感を持っていた時代に、カ子さんは生を享けたのでした。

「この娘が大きくなるころには、平和な日本が訪れているだろうか……」

日露戦争の概略。画像:Wikipedia

そんな大人たちが総力を挙げて守り、受け継いでくれた現代の日本。

現在、ヨーロッパではロシア連邦によるウクライナ侵略(令和4・2022年2月24日~)が行われており、ウクライナの人々はより深刻な苦境に身を置いています。

平和と独立はタダではない。田中カ子さんが生まれた当時に思いを馳せることで、平和と独立を守るために何をすべきか考える機会としたいものです。

※参考文献:

  • 花田衞『花も嵐も107歳 田中カ子・長寿日本一への挑戦』梓書院、2010年5月

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