松平家を見守る菩提寺の住職
登譽上人 とうよしょうにん
[里見浩太朗 さとうみこうたろう]松平家の盛衰を見守ってきた岡崎・大樹寺の頑固一徹な住職。彼の教えである「厭離穢土欣求浄土(汚れた世を浄土にすることを目指せ)」は、生涯を通じての家康の精神的な支えとなり、徳川家の旗印になる。
※NHK大河ドラマ「どうする家康」公式サイトより
里見浩太朗が演じる登譽上人こと登誉天室(とうよ てんしつ)。
家康の菩提寺住職として登場する彼は、果たしてどんな生涯を送り、家康にどんな影響を与えたのでしょうか。
窮地の家康を守り、生きる指針を示した師
登誉天室は生年不詳、相模国小田原(神奈川県小田原市)の出身と言われます。幼くして出家して修行に励み、博識さと人の心をつかむ説法に定評がありました。
やがて京都一心院(京都市東山区。浄土宗)をへて三河国大樹寺(愛知県岡崎市)に移り、第13代住職に就任します。
そんな永禄3年(1560年)5月19日、桶狭間の合戦で今川義元(いまがわ よしもと)が敗死。当時今川家に仕えていた松平元康(まつだいら もとやす。後の家康)が寺へ逃げ込んできました。
ここは松平家父祖伝来の岡崎城から近いので、主家の混乱に乗じて城を乗っ取る(独立する)チャンス。しかし城内の者たちが信用できない家康は、駆け込み先に菩提寺を選んだのです。
登誉天室は元康の信頼に応えるべく門徒500名を動員、残党狩りの手から元康を守り抜きました。
一説には前途を悲観した家康が祖先の墓前で自害を図ったのを引き止め、「厭離穢土欣求浄土(おんりえど ごんぐじょうど)」の教えを授けたと言います。
欲望に穢れきった戦乱の世を終わらせ、平和で清らかな浄土を実現するために生き抜き、闘え……その教えに目が覚めた家康は、自ら命を絶つ愚を戒め、数々の苦難を乗り越えていったのでした。
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終わりに
その後、登誉天室は天正2年(1574年)6月17日に世を去りますが、彼が家康に何を遺していくのかも見どころです。
大河ドラマは4回目の出演(炎立つ、利家とまつ、龍馬伝、本作)となる里見浩太朗、彼がどんな登譽上人を演じてくれるのか、今から楽しみにしています。
※参考文献:
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