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【大河深読み】京都で本多忠勝らと喧嘩した”仙千代”にモデルはいるのか?もしかして万見重元かも?【どうする家康】

戦国時代
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京都洛中で浅井の家臣たちと喧嘩になった本多忠勝(演:山田裕貴)と榊原小平太(演:杉野遥亮)。

「何じゃ!」

「おい いかがした? 仙千代」

※NHK大河ドラマ「どうする家康」第13回放送「家康、京へゆく」より(字幕)

浅井方の中にそう声をかける者があり、果たして仙千代(せんちよ)とは何者なのでしょうか。

これまでもわざわざ名前をつけていながら、ストーリーに何の影響もなくアッサリ退場した者も多い本作。

いきり立つ仙千代。この後、平八郎らによって倒される(イメージ)

なので、もしかしたらこの仙千代も単なるオリジナルキャラクターかも知れません。

それでも名前をつけるからには後で何かしら登場する可能性もあります。「あ、お前はあの時の!」みたいな。

という訳で、今回はこの仙千代のモデルと思しき人物について調べてみました。果たして仙千代は、今後も登場するのでしょうか。

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仙千代は信長父子に近習として仕えた万見重元?

仙千代という名前の戦国武将を調べたところ、織田信長(演:岡田准一)・織田信忠(のぶただ)父子に近習として使えた万見重元(まみ しげもと。万見仙千代)という人物がいました。

仕官した年代は不明。出身は尾張とも近江とも言われ、近江出身ならばまず浅井家に仕え、その後に織田家へ仕えた設定なのでしょうか。

その後、信長に仕えた仙千代。天正6年(1578年)に自宅で開いた茶会に信忠を招いているなど、厚く信頼されていたことがうかがわれます。

他にも信長の使者として各方へ赴いたり、信長が出かける際は供奉したりなどそば近く仕えました。

「英名百雄伝 荒木摂津守村重」

やがて重臣・荒木村重(あらき むらしげ)に謀叛の噂が立つと、明智光秀(演:酒向芳)と共に糾問使として有岡城へ赴きます。

違心なき旨を訴える村重でしたが、仙千代らが帰るや否や謀叛を起こし、信長は有岡城へ兵を出しました。

この時に仙千代も従軍しており、堀秀政(ほり ひでまさ)や菅屋長頼(すがや ながのり)らと共に鉄砲足軽を率います。

しかし武功を焦ったためか討死。小瀬甫庵『信長記』によれば、塀を乗り越えようと取りすがったところを長刀に貫かれたそうです。

これが武将らしい唯一の戦さ働きとなります。

終わりに

以上、万見仙千代の生涯を駆け足でたどってきました。

武士として、戦さ働きこそ何よりの花(イメージ)

幼名のまま討死しており、若くして亡くなったと見られていますが、一説には30歳まで生きたとも言われます。

果たして大河ドラマの仙千代=万見仙千代なのかは分かりませんが、再登場そして平八郎たちとの和解に期待したいですね。

※参考文献:

  • 谷口克広『織田信長家臣人名辞典』吉川弘文館、2010年10月
  • 岡田正人『織田信長総合事典』雄山閣出版、1999年9月

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