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吉原俄(にわか)とは何?吉原三景容の一つを紹介!【大河ドラマべらぼう】

伝承民俗
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天下御免の色里として知られた吉原遊廓。華やかさと陰惨さが渦巻く混沌の巷を彩る三景容と言えば、春の夜桜と玉菊燈籠、そして吉原俄(にわか)でした。

この吉原俄とは何なのか、今回はそれを調べて紹介したいと思います。

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吉原俄の歴史

鳥居清長「青楼仁和嘉盡」

俄とは俄狂言のこと。現代でも俄雨とか俄ファンなどと言うように、吉原の街中で突然始まる素人狂言を吉原俄と呼んだのでした。

また同じ音で仁輪加・仁和歌・二和加・仁和嘉などとも書かれ、別名「茶番(意味は現代の茶番劇と同じ)」とも呼ばれたそうです。

吉原遊廓に限らず全国各地で行われており、江戸でも享保年間(1716~1736年)頃から始まりました。

最初は文字通りお調子者が、吉原の路上でにわかに狂言を始めたところ、思いの外盛り上がったのでしょう。

次第にルールやマナーが整備されてゆき、明和4年(1767年)以降は毎年の恒例行事となりました。

こういう突発的なお祭り騒ぎが地域の伝統として定着していく過程は阿波踊りなどに似ていますね。

吉原俄では8月1日から30日間、幇間(ほうかん。太鼓持ち)や男女の芸者らが中心となって吉原仲ノ町通り(メインストリート)を練り歩きました。

雨の日は順延となり、延びた日数だけ9月までずれ込んだそうで、何が何でも30日間はキッチリやろうという(謎の?)こだわりを感じます。

合わせて本来の俄狂言や俄芝居も演じられ、素人ながら熱演が競い合われたことでしょう。

そんな吉原俄は吉原三景容(三名物)に数えられるほどの盛り上がりを見せ、明治時代に吉原遊廓が廃止されるまで続けられたのでした。

終わりに

豊原国周「新吉原俄獅子之図」

今回は吉原俄について紹介してきました。

現代でも地元・浅草の方々が往時を偲んで伝統芸能イベントを開催するなど、吉原俄は人々の暮らしに根づいているようです。

果たしてNHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」では、吉原俄がどのように演じられるのか、楽しみにしています!

※参考:

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