殿様と聞くと、多くの方は権力を嵩(かさ)に庶民を虐げる暴君や、あるいはいつも民のかまどを気にかけて苦楽を共にする名君などが思い起こされます。
しかし、いずれの場合にせよ民に君臨する都合上、どうしても政治的な関係となってあまり親近感は湧かないものです。
そんな中、庶民たちから「雪の殿様」なんてメルヘンチックな愛称で親しまれた殿様がいたのをご存知でしょうか。
今回は江戸時代の古河藩主・土井利位(どい としつら)を紹介したいと思います。
大塩平八郎の乱を鎮圧
土井利位は江戸時代中期の寛政元年(1789年)、土井利徳(としのり)の4男として三河国刈谷(現:愛知県刈谷市)で誕生しました。
通称は六郎、25歳となった(1813年)本家である古河藩主・土井利厚(としあつ)の養子となります。
文政5年(1822年)に養父が亡くなるとその跡を継いで古河藩主に就任。その後は寺社奉行や大坂城代、京都所司代に江戸城西ノ丸老中など幕府の要職を歴任しました。
大坂城代の在任中、大塩平八郎の乱を鎮圧するなど、文武両道に功績を上げます。
そして幕末の風雲迫らんとする嘉永元年(1848年)、60歳で世を去ったのでした。
ごくざっくりと駆け足でその生涯を辿ってみましたが、土井利位が「雪の殿様」となった理由は、そのユニークな趣味にあります。
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雪の結晶を採取・研究
「殿、今夜はいけそうですぞ」
「うむ、早速支度を致せ!」
ある寒い夜、利位が家臣たちに命じて黒い布を冷やさせました。
やがて雪が降ってくるとその黒布で受け止め、うっかり吐息で溶かさぬように気をつけながら、丹念にピンセットで結晶を採取。
「慎重に、慎重に……」
黒い漆器に移した雪の結晶を、蘭鏡(らんきょう。オランダから輸入した顕微鏡)でじっくり観察して、そのデザインを一つづつ描き移したのでした。
「うむ、今宵は新たなデザインが三つもあったぞ!」
「やりましたな!おぉ、何とも美しい……」
「まさに天が為せる芸術にございますな」
……などなど、描き集めた雪のデザインをまとめた『雪華図説(せっかずせつ)』『続雪華図説(ぞく〜)』を出版。
私家版のため少部数だったようですが、その斬新なデザインが人々の美的センスに刺激を与えました。
後に利位の官職であった大炊頭(おおいのかみ)から雪華模様を大炊模様と呼ぶようになり、今でも地元の古河では、市内各所にロマンチックなデザインがあしらわれています。
古河へ足を運ぶことがあったら「雪の殿様」が発見した美しい模様を探してみたいですね!
※参考文献:
- 早川和見『古河藩 シリーズ藩物語』現代書館、2011年2月
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