2月11日は「出雲そばの日」……令和4年(2022年)1月、日本記念日協会が「そば商組合(島根県出雲市・同松江市)」の申請を受けて2月11日を「出雲そばの日」として正式に登録。
組合からの報告を受けた島根県知事は「島根らしい文化なので、支援していきたい」とコメント。来年から様々なイベントを企画・開催して地域の活性化につなげたい考えです。
※参考:「出雲そばの日」登録を島根県知事に報告 「そば商組合」
信州から出雲へ持ち込まれた蕎麦文化
実に素晴らしい取り組みですが、なぜ「出雲そばの日」が2月11日なのでしょうか。
その理由は江戸時代初期の寛永15年(1638年)2月11日、松平直政(まつだいら なおまさ)が出雲松江藩18万6千石(+隠岐国1万4千石=20万石)へ移封されたことによります。
なぜ大名の移封が出雲そばと関係するのかと言いますと、この直政は前に信州松本藩7万石を治めており、信州と言えば現代でも有名な蕎麦どころ。
そう、信州から蕎麦文化を持ち込み、発展させた直政が出雲へやって来ることとなった2月11日こそ「出雲そばの日」に相応しいという訳です。
直政が来る以前にも蕎麦を食する文化はあったでしょうが、信州の誇る蕎麦職人を連れてきたことでより一層普及させたと言います。
ところで蕎麦は寒冷地のやせた土地でもよく育って収穫期間も早いため、昔から救荒作物として重宝された一方、お米が食べられない人々が糊口をしのぐ「卑しい食べ物」とされていました。
しかし第7代藩主の松平治郷(はるさと。不昧公)は大の蕎麦好きで、お忍びで城を抜け出し、夜鷹蕎麦(よたかそば。屋台そば)を食べにいくほどだったと言います。
文化人として知られた治郷は、蕎麦を茶懐石に採り入れるなど蕎麦の地位向上にも貢献しました。
(逆に政治家としての評価は低いものの、これは一説に徳川将軍家から警戒されないための演技であったとも言われます)
そのお陰もあって出雲の蕎麦文化が洗練され、出雲そばは日本三大蕎麦(他はわんこそば、戸隠そば)の一つに数えられるまでに発展したのでした。
出雲そばの特徴は?
さて、そんな出雲そばの特徴には「割子(わりご)そば」と「釜揚げそば」スタイルが挙げられるでしょう。
割子とは重箱のこと。特徴的な丸い漆器にそばを入れて重ね、上の段から出汁をぶっかけて食べたら、残った出汁を下の段に使い回します。
これは蕎麦を弁当として持ち運んだため、少ない出汁で効率よく蕎麦を味わえるように工夫されたものでした。
また釜揚げそばは茹で上げたそばを水で〆ずに蕎麦湯ごと器によそい、出汁をかけるスタイル。見た目は掛け蕎麦に似ていますが、麺を水で〆ないので食感に違いがあります。
蕎麦粉のヌメリが強く残っているものの、それによって身体が温まりやすく、寒冷な日本海に適したスタイルと言えるでしょう。
終わりに
現代も人々に親しまれている出雲そば。筆者も依然、出雲へお参りした際に賞味する機会に恵まれました。
松平直政、そして不昧公がもたらした出雲の味覚を、また楽しませていただきたいものです。
※参考文献:
- 白石昭臣 監修『おいしい出雲そばの本 端麗にして美味 パワフル伝統食』ワンライン、2000年8月
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