万が一の話ですが、もし皇居のセキュリティに問題があったら、宮内庁の責任が問われる大問題(のはず)です。
しかし平安時代の宮中はなかなかアバウトだったと言います。
例えば警備がザルだったり、各部署の連携がとれなかったり……と言ったこともしばしば。
今回はそんな現場で奮闘していた、とある下級貴族のエピソードを紹介したいと思います。
永資が大舎人允で本当によかった……
寛仁元年(1017年)正月のある晩のこと。滝口武者(たきぐちのむしゃ。宮中警護の武士)である藤原永資(ふじわらの ながすけ)が一条院内裏(一条上皇の宮殿)を警備していたところ、西中門の脇に黒装束の男がいるのを発見しました。
「む、何者か」
永資が呼び止め、問いただしてもハッキリ答えないので、事情聴取のため連行したところ、男は南廷(庭)から東中門に向かって逃走を図ります。
「逃がさぬ!」
思いのほか俊足で、追いつけないと悟った永資はすかさず弓をとって矢を射放ち、男を逮捕。殺さぬよう、手足に射当てるなどしたのでしょう。
男の身元を確認したところ、亡き紀左衛門尉忠道(きの さゑもんのじょうただみち)の従者でした。鏡を一面と白い狩衣(かりぎぬ)を所持しており、恐らく盗品と見られます。
大方かつて出入りしていた衛門府に忍び込み、生活費の足しにしようと盗み出したのでしょう。
「おぉ、でかしたぞ!」
盗賊捕縛の報せを受けて、藤原道長(みちなが)は永資を褒めてやります。さっそく検非違使に引き渡そう……と呼んだのですが、検非違使が誰一人として来ません。
「あれ……?」
どうせまたみんなサボっているのかな?待っていても仕方がないので、今度は「誰でもいいから然るべき部署の者」を呼んでみた道長ですが、やっぱり誰も来てくれません。
「衛門府の管轄ではありません」
「兵衛府の管轄ではありません」
「たぶん、ウチの所轄でもありません」
「少なくとも、ウチの管轄ではありません」
「どうか、ウチではないどこかの管轄でありますように」
……などなど、お役所仕事の必殺技「たらい回し」が炸裂。道長は頭を抱えてしまいます。
「まったく、どいつもこいつも……まぁしかし、そなた(永資)が大舎人允であってよかったわい」
大舎人允(おおどねりのじょう)とは宮中の雑務をこなす大舎人寮の三等官(允)。とりあえず面倒ごとはコイツら(この部署)に丸投げしておけば間違いないと思われていました。
「……何とかします!」
こういう無茶ぶりの数々が彼らの柔軟性や即応性といった実務能力を鍛え、官吏の養成機関となっていた面もあるそうです。
果たして永資が盗賊をどう何とかしたのか、そこまでは道長の日記『御堂関白記』には記録がありません。
まぁ道長にすれば、面倒ごとは下の者に丸投げすればそれでおしまい。後のことなど考えもしなかったことでしょう。
終わりに
いつの時代も責任の押しつけ合いは絶えず、それを見かねた奇特な者が問題に立ち向かう……平安京の治安もまた、そんなこんなでどうにか守られていたようです。
まったくけしからん……しかし下級官人たちの薄給・冷遇を鑑みれば「どうせ頑張っても報われないし、それなら少しでも手を抜かなきゃ損だ」と思ってしまう気持ちは解らなくもありません。
一方で当局にも予算を節減したい財政事情があるとは言え、やはり安全・安心の確保にはしっかりとリソースを投入すべきではないでしょうか。
※参考文献:
- 倉本一宏『平安京の下級官人』講談社現代新書、2022年1月
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