後鳥羽上皇の乳母 藤原兼子
後鳥羽上皇の乳母。のちに政子と対決する大政治家。
※NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」公式サイトより
後鳥羽上皇(演:尾上松也)の乳母として登場する藤原兼子(ふじわらの けんし/かねこ)。尼将軍として鎌倉を取り仕切る尼御台・政子(演:小池栄子)の前に立ちはだかるようです。
さて、彼女はどのような生涯を送り、政子とどのような形で対決するのでしょうか。
後鳥羽上皇の乳母として活躍
藤原兼子は平安時代末期の久寿2年(1155年)、京都で学者として活躍した公家・藤原範兼(のりかね)の娘として誕生します。
通称は卿局(きょうのつぼね)、やがて出世していくと卿三位(きょうのさんみ)・卿二位(きょうのにい)とも呼ばれました(が、それは少し先の話し)。
さて、永万元年(1165年)に11歳で父を亡くした兼子は、叔父の藤原範季(のりすえ)に養育されます。
やがて姉の藤原範子(はんし/のりこ)と共に尊成親王(たかひらしんのう。後の第82代・後鳥羽上皇)の乳母として仕えました。
そして寿永2年(1183年)に尊成親王が即位されると、兼子姉妹は天皇陛下の乳母として重用され、兄の藤原範光(のりみつ)も側近として取り立てられます。
範光は土御門通親(演:関智一。範子の夫)と並び称されるほどの権勢を誇りますが、後鳥羽天皇の後継者争いで対立する場面もありました。
為仁親王(ためひとしんのう。第83代・土御門天皇)を推す通親・範子と、守成親王(もりなりしんのう。第84代・順徳天皇)を推す範光・兼子の争いは土御門派が制し、ひとまず皇位を譲ることになります。
政争の中で頭角を現し始めた兼子は正治元年(1199年)、後宮の次官である典侍(ないしのすけ)となって政治の表舞台に踊り出しました。
これまで独身だった兼子はこの頃に藤原宗頼(むねより)と結婚。45歳で初婚とは現代の感覚でも相当な晩婚ですが、よほど理想が高かったのか、あるいは釣り合う男性がいなかったのかも知れません。
建仁2年(1202年)にライバルの通親が亡くなると後鳥羽上皇は独裁色を強め、兼子・範光の兄妹はその側近としてますます権勢を振るうように。
そんな兼子ですから公家たちからも引く手あまた、建仁3年(1203年)に夫の宗頼が亡くなると久我通資(くが みちすけ。通親の弟)はじめ多くの男が群がってきたと言います。
けっきょく兼子は大炊御門頼実(おおいみかど よりざね)と再婚、夫婦で後鳥羽院政の中核を担ったのでした。
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政子との初対面。さっそく意気投合するも……
さて、兼子が政子と初めて対面したのは建保6年(1218年)1月。熊野詣に際して上洛した政子は、鎌倉殿・源実朝(演:柿澤勇人)の後継者問題についてその候補者選びを相談します。
「もし鎌倉殿に子のないまま、万一の折には……」
「なれば当家で養育申し上げている、無品殿下(頼仁親王)はいかがでしょうか」
頼仁親王(よりひとしんのう)は後鳥羽上皇の皇子で、朝廷としては坂東をコントロールする上で適任と言えるでしょう。
また母は坊門信清(ぼうもん のぶきよ)の娘ですから、親王は実朝にとっては義理の甥に当たります。
鎌倉にとっても、朝廷にとっても打ってつけの人材が見つかってめでたしめでたし。
兼子は政子とよほど意気投合したのか、政子を従三位に推挙しました。これは出家後の女性としては異例の厚遇です。
※ちなみに後鳥羽上皇が「会ってやってもいいぞ」と呼びかけたのに対しては「田舎の婆さんに会ってもつまらないだけですよ」と一蹴もとい辞退しています。
政子が鎌倉へ帰った後の同年11月には従二位へ昇進させており、よほど気に行ったのか、あるいはそう見せかけての位撃ち(※分不相応な高位や重職をあてがって相手を破滅させる呪いの一種)だったのかも知れません。
しかし建保7年(1219年。承久元年)に実朝が公暁(演:寛一郎)に暗殺され、幕府と朝廷の対立が深刻化すると後鳥羽上皇の拒絶により頼仁親王の鎌倉入りは白紙に。親鎌倉派と見られていた兼子は遠ざけられてしまいます。
やがて承久3年(1221年)に勃発した承久の乱に敗れると、後鳥羽上皇方に与していた兼子の一族は連座によって処刑されました。
兼子は助命されて京都に留まったものの、その後比叡山延暦寺との争いによって京都追放&所領没収の憂き目に遭い、また強盗に入られるなど散々な晩年を送ります。
そして寛喜元年(1229年)8月16日、頭部の腫瘍によって75歳の生涯に幕を下ろしました。兼子の遺産は藤原重子(じゅうし/しげこ。範季の娘。兼子の従姉妹)に譲られたのでした。
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終わりに
以上、政子のライバルと目されている藤原兼子の生涯を駆け足で見て来ました。
政子との接点としては(1)政子と鎌倉殿の後継者問題について合意し、(2)異例の昇進を推挙してあげた、と大きく2つ。
どちらかと言えば仲良しに思えるのですが、果たして三谷幸喜は二人をどのようなライバルに描き上げていくのでしょうか。
シルビア・グラブさんの演技にも期待したいですね!
※参考文献:
- 上横手雅敬『歴史文化セレクション 鎌倉時代 その光と影』吉川弘文館、2006年12月
- 角田文衛『平家後抄 落日後の平家』講談社、2000年6月
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