昔から「笑う門には福来る」とはよく言ったもので、ニコニコしている人は、どういう理屈かそれなりに楽しく暮らせているようです(筆者調べ)。
今回は幕末から明治にかけて生きた福の神?仙台四郎(せんだい しろう)こと芳賀豊孝(はが とよたか)を紹介。
果たして、どんな人物だったのでしょうか。
行く店どこも千客万来、いつもニコニコ人気者
仙台四郎は江戸幕末の安政元年(1855年)ごろ、仙台藩の城下町(現:宮城県仙台市)に住む鉄砲鍛冶の家に生まれました。
……で、四郎が何をしたのかと言いますと、特に何もしませんでした。いつもニコニコ笑顔で街中をブラブラ歩いて暮らしたそうです。
四郎には知的障害があったと言われ、中にはいじめる嫌なヤツもいました。しかし彼はまったく気にせずいつもニコニコ。愛嬌あふれる風貌から、みんなの人気者でした。
そんな四郎には不思議な能力があり、彼が好んで立ち寄った店は必ず繁盛したと言います。代金は家の者が後で払ったのでしょうが、次第に噂が広まるや「ぜひウチにもお越しいただこう」とばかり無料で招待する店も出てきました。
素直な性格の四郎でしたが、気に入らない店には頑として入りません。無理に引き込もうとした店は必ずつぶれてしまったそうで、ますます神様じみています。
鉄道までもが四郎の「ご利益」に与ろうとしたらしく、彼は汽車に乗って隣県(福島県・山形県)にまで足をのばしたのでした。
かくして「仙台市長を知らなくても、仙台四郎を知らない者はいない」と言われるまでの有名人となった仙台四郎。
その最期は明治36年(1908年)ごろ、福島県の須賀川市辺りで亡くなった(あるいは消息を絶った)と言われています。
ただしこの手の人物は往々にして生存説がささやかれるもの。仙台四郎もその例にもれず、当時の新聞でも「釜山(現:大韓民国釜山市)を旅行中」だの「50代半ばにアジア大陸で亡くなった」など、荒唐無稽な報道がなされました。
何なら昭和初期に入っても「仙台四郎を見た」という噂が立ったそうで、よほど人々から愛されていたのでしょうね。
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語り継がれる福の神
大正時代に入ると、四郎の写真(明治18・1885年ごろ撮影)を販売する者が現れます。「明治福ノ神 仙臺四郎君」と銘打った絵葉書は大いに売れ、以来現代に至るまで様々なキャラクターグッズとなって親しまれています。
あのユーモラスな笑顔を見ていると、自然と福が舞い込んでくるようです。もしどこかで見かけたら、皆さんもお一ついかがでしょうか。
【仙台四郎をお祀りしている神社】
- 三瀧山不動院(仙台市青葉区)
- 朝日神社(仙台市青葉区)
※参考文献:
- 三原良吉 編『郷土史仙台耳ぶくろ』宝文堂出版、1982年11月
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