そこらへんに生えている草について、皆さんは何て呼びますか?多くの方は雑草と呼ぶのではないでしょうか(筆者もそうです)。
雑多な草だから、まとめて雑草と呼ぶ。もちろん間違ってはいませんが、草花の一本々々にはそれぞれ名前があって、それぞれの命を生きています。
「雑草を刈っておきました」と報告する職員に対して、昭和天皇(しょうわてんのう。第124代)が「雑草ということはない。どんな植物でも、みな名前があって、それぞれ自分の好きな場所で生を営んでいる」と諭したエピソードは有名ですね。
一方で、植物学者の牧野富太郎(まきの とみたろう)も同じようなセリフを語ったと言います。
「きみ、世の中に〝雑草〟という草は無い。どんな草にだって、ちゃんと名前がついている」
これは作家の山本周五郎(やまもと しゅうごろう)が朝日新聞の記者時代、牧野から同じように諭されたそうです。
名は体を表すと言うように、どんなに小さな草花であっても雑草と一絡げにせず、一つ一つの命を慈しんだ二人らしい言葉として愛されています。
どっちが元祖か不明だが……
ところで、この名言はどっちが先に言ったのでしょうか。それぞれ別の場所で言ったのか、それともどっちかの受け売りなのか。
実際はハッキリしませんが、かつて牧野は昭和天皇に侍講(じこう。君主に学問を講義すること)していることから、この思想を伝えたのかも知れませんね。
あるいは牧野が昭和天皇のお考えに感銘を受けた可能性も考えられます。もちろん、植物を愛してやまなかった二人のこと、それぞれが意図せず発したとしても不思議ではありません。
富太郎をモデルにしたNHK連続テレビ小説「らんまん」でも、神木隆之介さん演じる槙野万太郎が、この名文句を言ってくれるのを楽しみにしています。
ちなみに、この名言に誰が足したか
「雑草という名の草はなく 害虫という名の虫もいない」
なんて言葉も目にしました。確かに虫は虫の都合でエサを食っているだけで、人間に害をなそうと思っている訳ではありません。
もちろん人間は人間の都合で彼ら虫たちを殺すのですが、これもまた自然の営み。長短大小そして種族にかかわらず、すべての命をなるべく愛し、その名を尊重したいものです。
※参考文献:
- 入江相政『宮中侍従物語』角川文庫、1985年11月
- 木村久邇典『周五郎に生き方を学ぶ』実業之日本社、1995年11月
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