永年にわたり徳川家康(演:松本潤)・松平信康(演:細田佳央太)の信頼を得ていながら、実は武田勝頼(演:眞栄田郷敦)と内通していた大岡弥四郎(演:毎熊克哉)。
山田八蔵(演:米本学仁)の通報により謀叛が発覚し、間一髪で防がれます(劇中では実際に起こっていました)が、首謀者たる弥四郎には極刑が用意されます。
「この者たちをしかと処罰なさいませ。この上なく、むごいやり方でなぁ……」
五徳(演:久保史緒里)が言っていた「酷い方法」とは、果たしてどんなものだったのでしょうか。
江戸幕府の公式記録『徳川実紀(東照宮御実紀)』から、大岡弥四郎(大賀弥四郎)の最期を紹介したいと思います。
妻子は磔、弥四郎は鋸引きのなぶり殺し
……よて弥四郎が妻子五人を念志原にて磔にかけ。弥四郎は馬の三頭の方へ顔をむけ鞍に縛り。浜松城下を引廻し。念志が原にて妻子の磔にかゝりし様を見せ。其後岡崎町口に生ながら土に埋め。竹鋸にて往来の者に首を引切らしめしに。七日にして死したりとぞ。……
※『東照宮御実紀附録』巻三「鋸引」
【意訳】謀叛のたくらみによって、弥四郎の妻子五人は念志原(ねんしがはら)で磔とされた。
当の弥四郎は逆向きで馬の鞍に縛りつけられ、浜松城下を市中引き回しのさらし者に。
念志原で妻子の磔を見せつけられ、岡崎城へ護送された弥四郎は、岡崎城下で生き埋めに。
首から上を出しておき、道行く人に竹ノコギリで首を引き切らせた。
散々なぶられ、いたぶられた弥四郎は、ついに七日で息絶えたのである。
……という事です。
簡単に解説すると、馬の三頭とは「さんず」と読み、腰からお尻のこと。
そっちへ顔を向けるのですから、逆向きに座ったことになります。これは罪人に対する作法でした(輿なども同様)。
浜松城下を引き回された弥四郎は、目の前で妻子が殺される様を見せつけられ、それから岡崎城で鋸引きの極刑に。
これは首を鋸で引き切るというもので、考えただけでもぞっとしますね。
文中「竹鋸」とあるのは竹を鋸の形に作ったものと考えられます。
もし普通の刃がついた鋸であれば、頸動脈からの出血ですぐに死んでしまうでしょうから。
あえて切れない竹鋸で首をギコギコ痛めつけて、少しでも長く苦しませたものと考えられます。
と聞いて「なぁんだ、生ぬるい」と思った方もいるかも知れませんが、これはこれでなかなかに苦しいものでした。
考えてもみて下さい。首から下は埋められて身動き出来ず、飢えと渇きに苛まれます。
加えて排泄さえままならず、何よりギコギコやられた首の傷だって、出血こそなくても痛んだはずです。
どう足掻いても助かる見込みがない絶望の淵で、いっそ早く死んで妻子に再会したいとさえ願ったかも知れません。
謀叛の報いとは言え、なかなかに惨たらしい刑罰であったことは間違いないでしょう。
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終わりに
かくして失敗に終わった岡崎城の乗っ取り計画。
「チッ、しくじったか……」
勝頼が次に狙ったのは長篠城、そこは奥平信昌(演:白洲迅)が守備する攻防の要でした。
第21回放送「長篠を救え!」では武田の大軍を相手に奮戦する展開が胸アツですね。
「戦国版走れメロス」こと鳥居強右衛門(演:岡崎体育)の激走ともども、楽しみにしています!
※参考文献:
- 『徳川実紀 第壹編』国立国会図書館デジタルコレクション
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