NHK大河ドラマ「光る君へ」、皆さんも楽しみにしていますか?
筆者は毎週欠かさず、まひろ(紫式部)や藤原道長の活躍を鑑賞中です。
さて。何となく妥協で結婚してみた藤原宣孝ですが、劇中ではゲス描写の連続。早くも暗雲が立ちこめていました。
女好きとか手紙を見せびらかすなど一部事実も含まれてはいるものの、これまでとは人が変わったような描きぶりに、戸惑った視聴者も少なくないのではないでしょうか。
そんな宣孝の子孫はどんな人物がいるのか『尊卑分脈』をたどってみると、何と天皇陛下にまで行きつくことが分かりました。
今回は藤原宣孝の子孫について、たどってみたいと思います。
宣孝の嫡男・藤原隆光(たかみつ)
天延元年(973年)生~没年不詳
母親は北の方(正室)である藤原顕献女(あきみちの娘)。
宣孝と一緒に御嶽詣でへ出かけ、親子揃って派手な装束を清少納言に批判?されたこともあります。
筑前守(福岡県北部)・越前守(福井県)・備中守(岡山県西部)・備前守(同県東部)など国司を歴任したので、財を成したことでしょう。
また朝廷でも主殿頭(とのものかみ)・皇后大進(こうごうだいしん/だいじょう)・左京大夫(さきょうのたいふ)などを務めます。
宣孝の孫・藤原隆方(たかかた)
長和3年(1014年)生~承暦2年(1079年)12月没
母親は前但馬守(さきのたじまのかみ)こと源国春女(くにはるの娘)。
正四位に昇り、左中弁(さちゅうべん)や右衛門権佐(うゑもんごんのすけ)、中宮権大進(ちゅうぐうごんのだいしん/だいじょう)などを歴任しました。
ほか但馬守(兵庫県北部)・備後守(広島県東部)などの国司も務めています。
宣孝の曾孫・藤原光子(こうし/みつこ)
康平3年(1060年)生~保安2年(1121年)4月16日没
堀河天皇・鳥羽天皇の二代にわたり乳母を務めました。
後に藤原公実(きんざね/きみざね)に嫁ぎ、待賢門院(たいけんもんいん。藤原璋子)らを生みます。
宣孝の玄孫・藤原璋子(しょうし/たまこ。待賢門院)
康和3年(1101年)生~久安元年(1145年)8月22日没
鳥羽天皇の乳姉妹にして、のち皇后となり崇徳天皇と後白河天皇を生みました。
やがてこの二人は骨肉の争い「保元の乱」を繰り広げ、後白河天皇が乱を制します。
そして後白河天皇の血統は今日の皇室まで受け継がれるのでした。
終わりに
【藤原宣孝・略系図】
……宣孝-隆光-隆方-光子(藤原公実室)-璋子(鳥羽天皇皇后)-崇徳天皇&後白河天皇(以降、皇室へ)……
『尊卑分脈』記述
隆光
筑前越前備中備前等守
主殿頭 皇后大進 左京大夫
母下総守顕献女 長者
隆方
行左中弁
正四位右衛門権佐
但馬守備後守中宮権大進
母前但馬守源国春女
承暦二十二卒
女子 光子
堀河鳥羽二代御乳母
大納言公実室
待賢門并通季実能等母
保安二四十六薨六十二
今回は藤原宣孝の子孫たちを紹介してきました。その血統が現代の皇室にまでつながっているとはすごいですね。
途中で女系子孫となっていましたが、宣孝の男系子孫についても改めて紹介したいと思います。
※参考文献:
- 藤原公定 撰『新編纂図本朝尊卑分脈系譜雑類要集 第7巻』国立国会図書館デジタルコレクション
コメント