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【歴人録】祇子女王(稲川美紅)とはどんな女性?その生涯をたどる【光る君へ】

平安時代
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隆姫女王の同母妹
祇子女王(のりこじょおう)
稲川 美紅(いながわ・みく)

隆姫女王の同母妹。敦康親王妃。

※NHK大河ドラマ「光る君へ」公式サイトより。

敦康親王の妃となった祇子女王(ぎし/のりこ)。彼女はどのような女性で、どのような生涯をたどったのか、見ていきましょう。

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敦康親王との結婚生活

イメージ

祇子女王は生年不詳、具平親王(ともひら。村上天皇皇子)またはその庶子・藤原頼成(よりなり。藤原伊祐養子)の娘と言われています。

大河ドラマでは具平親王の娘説が採用されました。

長和2年(1013年)12月10日に敦康親王と結婚し、長和5年(1016年)7月19日に長女の嫄子女王(げんし/もとこ)を生みます。

しかし寛仁2年(1018年)12月17日に敦康親王が発病、その日の内に出家。20歳の若さで薨去してしまいました。

嫄子女王は藤原頼通の養女(藤原嫄子)となり、祇子女王は女房として出仕。進命婦(しんのみょうぶ)と呼ばれます。

進は三等官(官職は不明)、命婦は貴族の女性を表していました。

藤原頼通と再婚

藤原頼通(画像:Wikipedia)

やがて祇子女王も娘を養女に出した頼通と結婚。二人の間には、7人もの子が生まれます。

【祇子女王の子供たち】

  • 橘俊綱(としつな):長元元年(1028年)生まれ、橘俊遠(としとお)の養子。
  • 覚円(かくえん):長元4年(1031年)生まれ、第34世天台座主・法勝寺初代別当。
  • 藤原定綱(さだつな):長元5年(1032年)生まれ、藤原経家(つねいえ)の養子。藤原家綱とも。
  • 藤原忠綱(ただつな):生年不詳、藤原信家の養子。
  • 藤原寛子(かんし/ひろこ):長元9年(1036年)生まれ、のち後冷泉天皇(親仁親王。後朱雀天皇の皇子)の皇后。
  • 藤原師実(もろざね):長久3年(1042年)生まれ、のち関白となる。
  • 女子(源経長室):生年不詳。

はじめの内は頼通の正室であり、同母姉でもある隆姫女王(たかひめ)に遠慮して生まれた子たちを養子に出したり出家させたりしています。

しかし寛子と師実は大いに出世。頼通にとって祇子女王は欠かせない存在となっていました。

そして天喜元年(1053年)5月23日に世を去り、後に従二位を贈られます。

終わりに

稲川美紅演じる祇子女王。NHK大河ドラマ「光る君へ」公式サイトより。

今回は敦康親王と藤原頼通の妻となった祇子女王について、その生涯をたどってきました。

果たしてNHK大河ドラマ「光る君へ」では、どんな活躍を見せてくれるのでしょうか。稲川美紅の好演に期待しています!

※参考文献:

  • 角田文衛『王朝の映像 平安時代史の研究』東京堂、1970年8月

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