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【歴人録】藤原実資の妻・桐子(中島亜梨沙)のモデル?婉子女王の生涯をたどる【光る君へ】

平安時代
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実資の妻 桐子(きりこ)
中島 亜梨沙(なかじま・ありさ)
藤原実資の妻。

※NHK大河ドラマ「光る君へ」公式サイト(人物紹介)より

第7回放送「おかしきことこそ」で初登場する藤原実資の妻・桐子。いやいや、もうちょっと情報を下さいよ。これじゃ誰がモデルなのか分かりゃしません。

藤原実資の妻は確認される限りこの辺りです。桐子のモデルはこの中の誰かでしょう。

  • 源惟正女(これまさのむすめ)
  • 婉子女王(えんし/つやこじょおう。村上天皇の皇孫で、花山天皇の元女御)
  • 源頼定乳母子(よりさだのめのとご)

……など。この中だったら婉子女王が一番面白いかと思います。

という訳で、今回は桐子のモデル?と思われる婉子女王の生涯をたどってみましょう!

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一度捨てたくせに……花山天皇と離婚し、藤原実資と再婚

婉子女王は天禄3年(972年)、為平親王(ためひらしんのう。村上天皇の第4皇子)と源高明女(たかあきらのむすめ)の間に誕生しました。

【婉子女王・略系図】
60醍醐天皇―62村上天皇-為平親王-婉子女王
※数字は天皇陛下の代数

同母兄弟には源憲定(のりさだ)・源顕定(あきさだ)・源頼定(よりさだ)・恭子女王(きょうし/たかこじょおう)らがいます。

婉という漢字には「うつくしい」「しなやか」「あでやか」「すなお」「おだやか」「ものやわらか」等の意味があり、女の子の名前にうってつけと言えるでしょう。
人々を魅了する女性に成長して欲しい両親の願いが込められていますね。

まひろ(紫式部。本作では天禄元・970年生まれ説を採用)より2歳年少になります。実際のところ、特に会うこともなかったでしょうが……。

そんな婉子女王は永観2年(984年)、13歳で花山天皇の女御として入内しました。はじめは寵愛されたそうですが、やがて花山天皇の寵愛を藤原忯子(しし/よしこ)に奪われてしまいます。

忯子は婉子女王より3歳年長の16歳(安和2・969年生まれ)。花山天皇は安和元年(968年)生まれの17歳だったため、より女性としての魅力を感じたのかも知れません。

しかし寛和元年(985年)7月18日に忯子が花山天皇の皇子を身籠ったまま急死してしまいました。

悲しみにくれる花山天皇は、思い出したかのように婉子女王を再び召し出そうとします。しかし婉子女王は病のため、これを辞退したのです。

忯子に対する花山天皇の偏愛ぶりを知って、このままじゃ自分も愛し殺されてしまうと思ったのでしょうか。

それとも「あれだけ忯子を寵愛していた≒自分のことは飽きてしまったのに、いざ忯子を亡くしたら戻って来いなんて、虫がいいにも程がある!」という怒りだったのでしょうか。

果たして寛和2年(986年)に花山天皇が出家したため、婉子女王は離婚。ほどなくして藤原実資に再婚したのでした。やっぱり病は口実だったのかも知れませんね。

しかし身体があまり丈夫ではなかったようで、長徳4年(998年)9月17日に27歳で生涯に幕を下ろします。

婉子女王・基本データ

生 没天禄3年(972年)生~長徳4年(998年)9月17日没
両 親父親:為平親王/母親:源高明女
兄 弟源憲定・源顕定・源頼定・恭子女王ら
伴 侶花山天皇/藤原実資
身 分元女御
子 女なし?(母親不明の子たちのうち、誰かを生んだ可能性も?)

なお、おばに源明子(めいし/あきらけいこ)がいます。

婉子女王・略年表

天禄3年(972年)誕生(1歳)
永観2年(984年)花山天皇の即位に伴い入内、女御に(13歳)
寛和元年(986年)花山天皇の出家により離縁(15歳)
その後、藤原実資と再婚
長徳4年(998年)9月17日、卒去(27歳)

終わりに

中島亜梨沙演じる桐子(婉子女王?)NHK大河ドラマ「光る君へ」公式サイト(人物紹介)より

以上、藤原実資の妻・桐子のモデルと思われる婉子女王の生涯をたどってきました。

あまり長生きしないので、活躍の機会は限られているかも知れませんが、物語にどのような華を添えてくれるのでしょうか。

果たして桐子のモデルは誰なのか、劇中ではどんな人物に描かれるのか、中島亜梨沙の”婉技”に期待しています!

追記・桐子のモデルは源惟正女?

(令和6年2月18日加筆)

第7回放送「おかしきことこそ」を視聴しました。

まだ花山天皇が出家していないため、婉子女王が実資に嫁いでいることはあり得ません。

そうなると、桐子のモデルは源惟正女が有力かと思われます。

源惟正女は天延2~3年(973~974年)ごろに実資と結婚。寛和元年(985年)には一人娘を生みました。

しかし寛和2年(986年)5月8日に先だってしまいます。また遺された娘も正暦元年(990年)に先だってしまったのです。

桐子が源惟正女であった場合、もうすぐ亡くなってしまうのですが、果たして何話まで登場するのでしょうか。

少しでも長く活躍して欲しいですね!

※参考文献:

  • 角田文衞 監修『平安時代史事典』角川書店、1994年4月
  • 芳賀登ら監修『日本女性人名辞典 [普及版]』日本図書センター、1998年10月

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