「これはまったく『恐れ入谷(いりや)の鬼子母神(きしもじん)』……」
江戸っ子と言えば地口(じぐち)、令和の現代では親父ギャグと言われてしまうアレですが、彼らは隙あらば会話の各所に地口をねじ込んでいたようです。
「ありがた山の寒鴉(かんがらす)」→ありがたや
「仕方中橋(しかたなかばし)」→仕方なかろう
そんな一つが「恐れ入谷の鬼子母神」。これは「恐れ入りやした(ました)」に入谷の地名をかけて、当地の鬼子母神をつなげたものです。
鬼子母神とはどんな神様で、入谷のどこに祀られているのでしょうか。
子沢山で子煩悩な恐ろしい女神
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鬼子母神とは元々インドの女神で、その名をハーリーティ(हारीती、訶梨帝母)と言いました。
彼女はパーンチカ(半支迦薬叉王。毘沙門天の部将)の妻で、500人もの子供を産み育てていたと言います。
※一説には1,000人とも1万人とも言われますが、要するに「とにかくたくさん」と言いたかったのでしょう。
さて、500人の子供たちに母乳をあげるためには、当然多くの栄養を摂らねばなりません。
そこでハーリーティは人間の子供をさらっては喰い殺し、母乳をまかなっていたようです。
子供よりも大人の方が栄養に富んでいそうですが、何か子供からしか得られない栄養があったのかも知れません。
子供をさらう邪神として人々に恐れられたハーリーティを改心させようと、お釈迦様は一策を講じます。
と言っても何のことはなく、彼女の末子であるピンガラ(氷竭羅天)を隠したのでした。
改心して子宝・子育ての神に
500人も子供がいれば、1人2人いなくなったところで気づかなそうなものですが、ハーリーティは即座に気づきます。
可愛いピンガラはどこへ行った……もう半狂乱になって世界中を7日間駆けずり回って探しました。
7日間で世界中を駆け巡るとは凄まじい勢いですが、我が子のためにそこまでできる母親もいるのでしょう。
しかしそこまでしてもピンガラは見つからず、ハーリーティはついにお釈迦様へ泣きついたのでした。
お釈迦様はハーリーティを諭して言います。
「お前には500人もの子供がいて、その内のたった1人がいなくなっただけでそこまで嘆き悲しんでいる。しかしお前は世の母親たちから、たった1人しかいない子供をさらって食い殺してきた。これがどれほど酷く、罪深いことであるか、同じ母親としてよく解るだろう」
我が子を思うあまり、他の母親たちのことなど考えもしなかった自分の所業を振り返って、ハーリーティは言葉もなかったことでしょう。
「三宝に帰依して五戒を守るならば、お前の子供は無事に帰ってくるだろう」
すっかり改心したハーリーティは、きちんと教えを守ったので、無事にピンガラと再開できたということです。
その後は母乳の栄養を何から摂ったのかは分かりませんが、他の食べ物で十分だったのでしょう。
以来ハーリーティは仏法の守護神として力を発揮し、子孫繁栄・安産・子育て・盗難除け(子供をさらわれないよう?)の神様として人々から崇敬されるようになりました。
日本での鬼子母神信仰
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やがて密教ブームとともに日本へ伝来したハーリーティは、そのエピソードから鬼子母神と呼ばれるようになります。
法華経の守護神として日蓮宗や法華宗の寺院で多く祀られ、真源寺(東京都台東区入谷)・法明寺(東京都豊島区雑司ヶ谷)・遠寿院(千葉県市川市)は江戸の三大鬼子母神と呼ばれるようになりました。
寺院によっては鬼子母神の「鬼」に上の点がない漢字を用いているところがあります。これはお釈迦様に教え諭された時に目から鱗ではなく角が落ちたからだと言われているそうです。
他にもある地名の地口
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今回は「恐れ入谷の鬼子母神」について紹介しましたが、他にも地名にまつわる地口があるので紹介しましょう。
- びっくり下谷(したや)の広徳寺(こうとくじ)
元は台東区下谷にありましたが、関東大震災以降は練馬区へ移転しました。
- 情け有馬(ありま)の水天宮(すいてんぐう)
中央区日本橋蛎殼町に鎮座する水天宮。情けある人を指して使ったのでしょうか。
- 何だ神田(かんだ)の大明神(だいみょうじん)
千代田区外神田の神田明神(かんだみょうじん)。何だかんだ言っても、霊験あらたかな神様です。
- 何祐天寺(ゆうてんじ)は中目黒(なかめぐろ)
何言(ゆ)うてんの、って関西弁みたいですね。祐天寺は目黒区中目黒にあります。
もし何かあったら、会話の節々に使うと面白い……かも知れませんが、高確率で親父ギャグ認定されてしまうので注意しましょう。
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