JR東海道線の辻堂~茅ヶ崎間に、伍仁原(ごにはら)踏切という場所があります。

珍しい地名なので、何か面白い由来があるのだろうと調べてみました。果たしてどんな由来があるのでしょうか?
五人が切腹したから「五人腹」転じて「ごにはら(伍仁原)」になった?

まずは調査の見当をつけるために、まずはインターネットで検索してみました。
すると「江戸時代に処刑場となっていた」「五人が切腹したから『五人腹』が転じて伍仁原となった」などという情報が出て来ます。
また「平成18年(2006年)ごろまでは踏切の傍らに慰霊碑があった」などとも言いますが、具体的な場所などについては情報がありません。
そのような言い伝えがあるのか、はっきりしたことはわからない状況です。
書籍にも載っていない?

図書館のレファレンス(調べものサービス)も利用してみましたが、伍仁原踏切の伝承に関する書籍は見つかりませんでした。
- 『日本歴史地名大系14』平凡社、1984年2月
- 『角川 日本地名大辞典14』角川書店、1984年6月
- 丹羽基二『難読姓氏・地名大辞典』新人物往来社、2002年4月
- 丹羽基二『難読姓氏・地名大辞典 続』新人物往来社、2005年6月
他の書籍には記載があるかも知れないため、今後も粘り強く調べてみたいと思います。
終わりに
結局のところ「伍仁原踏切」について、地名の由来や伝承について詳しいことは分かりませんでした。
しかしまだ諦めたら、せっかく湧いた興味がもったいないです。
他の手段があるかも知れないので、頭の片隅に入れておいて、何かの折に新たな手がかりがつかめたらと思います。
【追記】情報提供をいただきました!
本記事を読んで下さった方より情報提供をいただいたので、再度調べてみました。
するとこちらのサイト「小和田の昔ばなし」に、五人原の片葉の葦の池という伝承が記録されています。
源平合戦において、鎌倉方の落ち武者五人がこちらの池で傷を洗っていたところ、平家方の追手が迫って来ました。
生きて敵の辱めを受けるよりは、と五人は自害して果てたと言います。自らの手で敵を討ち取れなかった悔しさからか、平家方の武者たちは池の葦を斬り払って八つ当たりしました。
すると五人の怨霊ゆえか、池の葦は片方からしか葉が出なくなったということです(なお池はその後埋め立てられ、現存しません)。
この伝承は小和田(こわだ)七不思議に数えられ、今も現地に伝わっています。
【こわだ七不思議】
一、六本松(ろっぽんまつ)の刑場
一、抜八丁(ぬきはっちょう)
一、涙橋(なみだばし)
一、五人原の片葉の葦
一、根無松(ねむまつ)
一、き京の辻のとげなしのばら
一、小和田小平次(こわだ こへいじ)
情報提供をいただいたお陰で、疑問が解消できました。誠にありがとうございます。


