「ハンコが洩れています。捺した上で出し直して下さい」
最近では徐々に省略されつつあるものの、役所や金融機関はじめ、少なからぬ場面で見られる日本のハンコ文化。
やれハンコ洩れだ、印影が不鮮明だ、曲がっているだ……窓口担当者によって「流石にこれは言いがかりではなかろうか?」と思えるような理由で書類を突き返されることも間々ありました。
まぁそれでも捺し直せば許される点、現代社会はとてもありがたいもの。と言うのも平安時代の官公庁では、印洩れはその種類によって職員のクビが飛びかねない重大失態だったのです。
今回はそんな一幕、藤原実資(ふじわらの さねすけ)たちのエピソードを垣間見ていきましょう。
さぁ大変!官符に印を捺し忘れ……
時は長和5年(1016年)3月、第68代・後一条天皇(ごいちじょうてんのう)が即位されたことを京畿内および七道諸国(全国各地)の神社に奉告する太政官符(公文書)が発行されました。
さて、官符にはそれが正式文書であることを証明する印が捺されるのですが、太政官から外印(げいん。太政官の印)を預かった主鈴の為象(ためかた。姓は不詳)は、上司である藤原実資と左大弁の源道方(みなもとの みちかた)からしつこく念押しされます。
「よいか。此度の印、決して捺し忘れるでないぞ?」
「万に一つ捺し洩らしがあろうものなら……分かっておろうな?」
「は、はいっ」
ただ公文書に捺印するだけ……だったはずなのに、よほどプレッシャーを感じてしまったらしく、為象は太政官符15枚のうち2枚に印を捺し忘れてしまいました。
それに気づいたのは、既に印を太政官に返納した後。外記の巨勢文任(こせの ふみとう)が報告します。
さぁどうしよう……ここで「捺し忘れがあったから、もう1回貸して下さい」とは言えません。
道方は「丹(に。朱肉)が薄かった……のかも知れませんね?」と「あくまで捺し忘れではなく、インクが薄すぎて見えないだけだ」という言い訳を考えついたものの、いくら何でも苦しすぎです。
「極めて愚頑(ぐがん)、何たる失態!……しかしとりあえず内々で何とかしよう。誰にも言うでないぞ?」
実資は善後策≒言い訳を講じるべく頭をひねります。せっかく孫が即位して大喜びの藤原道長(みちなが)に知られたら、「水を差された」と激怒する≒厳罰に処せられるかも知れません。
(もちろん上級貴族である実資自身に実害はなかろうものの、こういうケチがつくと、後々まで出世に響くのが貴族社会・官僚機構というものです)
実資の考え出した言い訳は?
ちなみに印洩れがあったのは、大宰府へ送る官符2枚。さぁ何としたものか……考えた結果が「そのまま送ってしまえ」でした。
このままバレさえしなければ、全く何の問題もありません。道長の日記『御堂関白記』には本件への言及がないことから、とりあえず彼の眼はスルーできたのでしょう。
しかし、官符を実際に取り扱う現場ではどうしても見つけてしまうもので、史の津守致孝(つもりの むねたか)が印洩れのあったことを報告してきます。
「……何とかするから、これ以上は言うな」
報国を握りつぶし、きつく口止めした実資でしたが、今度は大外記の小野文義(おのの ふみよし)が内々に相談してきました。
「何ということでしょう。もし後日これがバレて摂政(道長)に問いただされたら、何と弁解すればいいのでしょうか」
えぇい、うろたえるでない……実資は文義に言って聞かせます。
「もう送られてしまったのだから仕方がない。もし我らに非があるとするなら、送られる前に指摘しなかった者にも非があるのだ。とりあえず摂政に問われなかったのだから、それでよしとしよう」
と開き直ったものの、それだけだとちょっと論拠として弱いと思ったのか、
「他の官符に捺印している時に、丹気(にいき)がはね移ったであろうから、まぁ捺したと言えば捺したのだ。うむ、そうに違いない!」
などと言い張りました。丹気とは朱肉の気すなわち成分のこと。
印を捺すとき目に見えないインクの水分みたいなものがはねて、捺し忘れに見える官符に移ったであろうから、実質的にすべての官符に印はきちんと捺されていたのです(ドヤ)。
……先ほど道方の考えた「印はちゃんと捺したんだけど、丹が薄かった」と何が違うのかと思ってしまうものの、文義は納得したと言います。どんな屁理屈でも、実資のお墨つきなら大丈夫……よほど貴族社会で信頼されていたのでしょう。
実際、この件について道長は何も言っていません。本当に気がつかなかったのか、気がついても孫の即位にケチをつけたくなかったのか、もしくは実資との力関係を考えて口をつぐんだ可能性も考えられます。
終わりに
以上、印洩れにまつわる平安貴族たちのエピソードを紹介してきました。
ハンコ一つでクビが飛ぶ……実資らのうろたえぶりを見る限り、決して言い過ぎではなさそうです。
いささか極端な気はするものの、ハンコが意思表示の重要なツールであることを示し、先人たちがハンコにかけた並々ならぬ思いが感じられます。
合理化が求められる日本のハンコ社会ですが、そのツールは変わっても意思表示・決定の重みを忘れないようにしたいものです。
※参考文献:
- 倉本一宏『平安京の下級官人』講談社現代新書、2022年1月
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