第4回放送「『雛形若菜』の甘い罠」
蔦重(横浜流星)は西村屋(西村まさ彦)と共に、呉服屋の入銀で錦絵の制作を順調に進めるが…。城内では、田沼意次(渡辺謙)による賢丸(寺田心)の養子計画に暗雲が…。
※NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」公式サイトより。
これしか中橋、苦境の中からひねり出した窮余の一策『一目千本 華すまい』でヒットを飛ばし、吉原の書肆として頭角を現しつつあった蔦屋重三郎(横浜流星)。
そんな蔦重が次に繰り出そうとしているのは『雛形若菜(ひながたわかな)』。さてどんな本なのか、大河ドラマの予習に調べてみましょう。
当時のファッション情報誌
『雛形若菜』とは吉原遊廓の高名な遊女たちをテーマに、当世流行りの髪型や着物を描いた書籍です。
つまり現代で言うところのファッション情報誌としての役割を担っていました。
きっと当時の女性たちは『雛形若菜』を片手に髪型や着物に流行を採り入れていったのでしょう。
そんな『雛形若菜』の遊女たちを描いたのは礒田湖龍斎(いそだ こりゅうさい。鉄拳)。安永6年(1777年)から天明2年(1782年)頃にかけて、100枚以上が色鮮やかに描かれました。
後に同タイトルの作品を鳥居清長(とりい きよなが)や勝山春山(かつやま しゅんざん)も手がけており、『雛形若菜』の絵師となることで、当時のファッション画家としてのステイタスが確立されていたのでしょう。
その版元は西村屋与八(西村まさ彦)と蔦重の合梓でしたが、間もなく西村屋が単独で版行するようになります。蔦重と何か揉めたのでしょうか。
ライバルとなった蔦重と西村屋
やがて両者はライバルのように競い合い、美人画を制する西村屋に対抗して、蔦重は喜多川歌麿(きたがわ うたまろ)や東洲斎写楽(とうしゅうさい しゃらく)を推し出しました。
西村屋は更に対抗して歌川豊国(うたがわ とよくに)・鳥文斎栄之(ちょうぶんさい えいし)・葛堂栄隆(かつどう えいりゅう)・勝川春潮(かつかわ しゅんちょう)・歌川国貞(うたがわ くにさだ)らを起用します。
また黄表紙を多く出版し、歌川広重(うたがわ ひろしげ)の花鳥画や葛飾北斎(かつしか ほくさい)の風景画など、浮世絵文化の確立に貢献しました。
話を『雛形若菜』に戻しますと、本作は蔦重と西村屋与八が巡り会うキッカケであり、また決別するキッカケともなったようです。
終わりに
今回は蔦重と西村屋与八の手がけた『雛形若菜』について、ごくざっくりと紹介しました。
こうして見る限りだと、西村屋与八がかなり優勢な印象を受けますが、果たして?
NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」では、絵師たちの活躍そして二人の協力と対立がどのように描かれるのでしょうか。今から注目ですね!
※参考文献:
- 日本浮世絵協会編 『原色浮世絵大百科事典 第3巻』大修館書店、1982年
- 吉田漱『浮世絵の基礎知識』雄山閣、1987年
- 小林忠ら『浮世絵の鑑賞基礎知識』至文堂、1994年
コメント