NHK大河ドラマ「どうする家康」、皆さんも観ていますか?
少しずつ世界が広がり、面白くなってきた昨今、公式サイトをのぞいてみたら新人物が載っています。
【R5.1時点】
その一人が久松源三郎(ひさまつ げんざぶろう)。キャスティングは未定のようで「coming soo…」となっていました。
果たして彼はどんな人物なのか、大河ドラマの予習を兼ねてその生涯をたどってみましょう。
【令和5年2月10日更新・キャストは長尾謙杜に】
本当の信玄を知る家康の義弟
久松源三郎勝俊 ひさまつ・げんざぶろうかつとし
[長尾謙杜 ながおけんと]
家康の母・於大と久松長家の次男。家康の異父弟として、若きころより人質として武田家へ預けられ、信玄のもとで暮らす。徳川と武田の関係がこじれる中、その身を案じた家康は、服部半蔵を通じて源三郎に甲斐脱出を命じる。
※NHK大河ドラマ「どうする家康」公式サイトより
今川・武田の人質となる
久松源三郎は天文21年(1552年)、久松長家(演:リリー・フランキー)の三男として誕生しました。母は於大の方(演:松嶋菜々子)、彼女が再婚してからの子供になります。
家康の異父弟に当たり、12歳となった永禄6年(1563年)に今川氏真(演:溝端淳平)の元へ人質に出されました。
やがて元服して久松勝俊(かつとし)と改名、源三郎は通称(当時、実名を呼ぶのは憚られました)となります。
永禄11年(1568年)に武田信玄(演:阿部寛)が駿河に侵攻すると、三浦与一郎(みうら よいちろう)なる者が武田に寝返り、17歳となった勝俊らを連れて甲斐国へ赴きました。
信玄は喜んで勝俊らを保護しましたが、人質の身分であることには変わらず、元亀元年(1570年)に甲斐国から脱出して家康の元へ戻ります。
しかし雪山の中をさまよったことから凍傷にかかり、両足の指を失ってしまいました。7年ぶりの再会を喜んだ家康は勝俊の忠義を称え、褒美として「一文字の刀」と「當麻の脇差」を与えたそうです。
また一門に準じる身分として松平の苗字を許し、自分の名前から康の字を与えて松平康俊(まつだいら やすとし)と改名させました。
天正11年(1583年)には駿河久能城(静岡県静岡市)を任されますが、天正14年(1586年)4月3日(4月2日説も)に35歳で世を去ってしまいます。
戒名は善照院殿泉月澄清大居士、墓所は静岡県浜松市にある西来院にあり、瀬名(演:有村架純。築山殿)の隣に眠っているそうです。
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終わりに
基本データ
生没 | 天文21年(1552年)生~天正14年(1586年)没 |
改名 | 久松勝俊⇒(松平勝俊)⇒松平康俊 |
通称 | 源三郎 |
両親 | 父:久松俊勝(久松長家)/母:於大の方 |
兄弟 | 久松信俊、女(一色詮勝室)、松平康元、多劫姫(松平忠吉室)、松平定勝、松姫、天桂院、女子 |
異父兄弟 | 徳川家康ほか |
妻妾 | 大村越前守女 |
子女 | 女子(松平勝政室)、松平勝政(婿養子) |
戒名 | 善照院殿泉月澄清大居士 |
墓所 | 西来院(静岡県浜松市) |
【久松源三郎→松平康俊・略年表】
天文21年(1552年) | 誕生(1歳) |
永禄6年(1563年) | 今川の人質に(12歳) |
永禄11年(1568年) | 武田の元へ(17歳) |
元亀元年(1570年) | 家康と再会(19歳) |
天正11年(1583年) | 久能城の城主に(32歳) |
天正14年(1586年) | 亡くなる(35歳) |
以上、久松源三郎こと松平康俊の生涯をたどってきました。彼は大村越前守(おおむら えちぜんのかみ)の娘を正室に迎え、一人娘を授かるも男児は生まれなかったといいます。
康俊が亡くなった後、於大の方は家康に願い出て甥の水野勝政(みずの かつまさ)を婿養子として家督を継がせ、子孫は下総国多古(千葉県香取郡多古町)へ移りました(後の多古藩)。
こうして見ると、戦さ働きなど派手な動きはないようですが、大河ドラマ「どうする家康」ではどのように絡んでくるのでしょうか。
登場そして活躍が楽しみですね!
※参考文献:
- 『寛政重脩諸家譜 第一輯』国立国会図書館デジタルコレクション
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