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人生ポジティブが一番!豊臣秀吉のコンプレックスを笑いに換えた曽呂利新左衛門

戦国時代
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人間とは実に業が深く、どれほど完全無欠に見えてもコンプレックスの一つや二つ抱えているもの。私たち庶民はもちろんのこと、天下に高く志を立てた英雄たちや、天下をその掌中にした覇者においても同じことです。

しかし「事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである」とニーチェも言ったように、コンプレックスをただ悩み続けるか、前向きにとらえるかは当人次第であり、その選択はやがて人生を大きく変えていくこともあります。

曽呂利新左衛門。歌川国貞筆

要するに「どうせなら、ポジティブに解釈した方が人生は楽しい」ということで、今回はひょうだい天下人・豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)のコンプレックスを笑いに換えた曽呂利新左衛門(そろり しんざゑもん)のエピソードを紹介したいと思います。

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殿下が猿に似ているのではなく……

時は戦国、百姓の倅から天下人にまで立身出世を果たした豊臣秀吉ですが、よく知られている通り、顔が猿に似ていたことがコンプレックスでした。

「おい猿!猿はおるか!」

「へい、何でしょうか?」

まだ年若く、身分の低い内は立身出世のためと謙虚に振る舞い、時には笑いをとることにも抵抗はありませんでしたが、いざ立身出世を果たしてしまうと、それ相応の貫禄も欲しいところ。

立身出世を果たしても、顔の形は変わらない。

「今でも陰では『あの猿が』『猿面冠者(さるめんかじゃ)』だのと噂する者がおる……まったくもって忌々しいわい!」

噂する者を捕らえて処刑するのは簡単だが、力で抑えつけても内心の侮りはなくなるどころか、いっそう嘲り笑うじゃろう……どうにも悔しくてたまらないところへ、御伽衆(おとぎしゅう)の曽呂利新左衛門が言いました。

「畏れながら申し上げます。殿下が猿に似ているなどと申す者は、ことの本質が解っておりませぬ」

「どういう事じゃ」

「殿下の顔が猿に似ているのではなく、猿たちが殿下のご人徳を慕って、殿下に顔を似せたのです」

そんなバカな……そもそも天下人になる前から、秀吉は猿に似ていたのです。しかし新左衛門は続けます。

「いえいえ、殿下は日輪の子(幼名:日吉丸)にございますれば……そのご幼少期から、日吉様の使いである猿どもは、殿下の将来をちゃんと見込んでおったのです」

「やはり、ワシの見込んだ通りじゃ」

これを聞いて秀吉は呵呵大笑。別におべっかに気分をよくした訳でも、ジョークを真に受けた訳でもないのでしょうが、まぁどうせ自分が猿と似ている事実が変わらないなら、前向きに考えた方が得と言うもの。

それっきり、秀吉はコンプレックスを笑い飛ばせるようになったとか……めでたしめでたし。

落語家の始祖?

かくして、機転とユーモアで秀吉のコンプレックスを笑顔に換えた曽呂利新左衛門ですが、その話の巧さで人を笑わせ、後に落語家の始祖(※)とも言われるようになりました。

(※)落語家の始祖・安楽庵策伝(あんらくあん さくでん)と同一人物という説もあるそうです。

他にも面白いエピソードがあるので、二つばかり紹介したいと思います。

望む褒美は米一粒!?

ある時、秀吉が「望みの褒美をとらせる」と言うので、新左衛門が言いました。

「米を一粒下され」

褒美に米一粒だけ?本当にそれでよいのか訊いたところ、新左衛門はつけ加えます。

「これから百日の間、米を前日の倍にして下されば、それで結構にございまする」

まぁ、米粒なら倍に倍にしていっても、大した量にはなるまい……秀吉は快く許可したものの、これが間違いの元でした。

「殿下!新左衛門への米が……!」

「まだまだ足りぬ、もっと持ってこい!」

初日に一粒だった米を毎日倍にしていったところ、とんでもない量になってしまったのです。

試しに筆者も計算してみたところ、米の量が1kg(約50,000粒)を超えるまでには17日かかったものの、26日目には1t(1,000kg)を超え、そこから2t、4t……と倍々していって、37日目には1kt超え、47日目には1Mt(メガトン)、57日目には1Gt(ギガトン)を超えてしまいました。

「このままでは、天下の米すべて掻き集めても足りませぬ!」

※ちなみに農林水産省の統計によると、令和2年(2020年)の日本国内における米の予想収穫量は776.5万t(約7Mt)とのことです。

まぁ、そこまで行く前にさすがの秀吉も降参して、他の褒美に代えてもらったと言うことです。

秀吉の耳の匂いを……

またある時、秀吉が「望みの褒美をとらせるぞ。もう米粒は勘弁じゃが(苦笑)」と言うので、新左衛門は「畏れながら、殿下のお耳の匂いを毎朝かがせていただきとうございまする」と答えます。

「わしの耳の匂い?何じゃそれは、変な趣味じゃな……まぁ、よかろう」

かくして新左衛門は毎朝、秀吉の耳元に鼻を近づけるのですが、周囲の家臣たちはその様子を遠目に見て

(よもや、新左衛門は我らの行状を逐一殿下に報告しているのでは……?)

と勘違い。そこで、変なことを言われてはたまらない、と、新左衛門の心証を少しでもよくしようと、家臣たちはこぞって付け届けをするようになったそうです。

終わりに

こんな具合に頓智の利いた新左衛門、元は鞘師(刀の鞘職人)の杉森彦右衛門(すぎもり ひこゑもん。杉本新左衛門とも)、どんな刀も「そろり」とスムーズに納める鞘を作った腕前から「曽呂利」と呼ばれたそうです。

他にも茶道や香道(お香のたしなみ)、和歌にも通じる多才ぶりで、坂内宗拾(さかうち そうじゅう)という雅号もありました。

人生、笑いが一番。

多くの人々を笑わせた新左衛門の屋敷は堺(現:大阪府堺市)にあり、今日お笑いの聖地として栄えている大阪を育てるのに一役買ったことでしょう。

その没年については諸説あり、慶長2年(1597年)とも同8年(1603年)とも、はたまた寛永19年(1642年)とも言われていますが、せっかくなら長く生きて、人々を楽しませてくれたらと思います。

新左衛門の墓は堺の妙法寺にあり、今も大阪の人々を見守っていることでしょう。

※参考文献:
安藤英男『曽呂利新左衛門』千人社、1981年7月

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