八重(演:新垣結衣)・比奈(演:堀田真由)に続く第3の女……菊地凛子さんが演じる“のえ”、『吾妻鏡』などでは伊賀の方(いがのかた。伊賀氏)と呼ばれます。
北条義時(演:小栗旬)の正室(後室)として登場する彼女は、果たしてどんな生涯をたどるのでしょうか。
今回は大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の予習として、伊賀の方と彼女が生んだ子供たちを紹介。予備知識をちょっと仕込んでおくだけでも、ドラマ鑑賞により深みが出てくるはずです。
悪女?それとも悲劇のヒロイン?
伊賀の方は伊賀朝光(いが ともみつ)の娘として誕生、兄弟には伊賀光季(みつすえ)・伊賀光宗(みつむね)・伊賀光資(みつすけ)・伊賀朝行(ともゆき)・伊賀光重(みつしげ)、結城朝光(演:高橋侃)に嫁いだ姉妹がいます。
義時との結婚時期はハッキリしないものの、比企能員の変(建仁3・1203年)によって義時が前室・姫の前(比奈)と離縁し、伊賀の方は元久2年(1205年)に長男・北条政村(まさむら)を生んでいます。
そこから逆算すると、義時が伊賀の方を娶ったのは建仁4年(1204年、元久元年)と考えるのが自然でしょう。実に乗り換えが早いですね。
三浦義村「お前はだんだん、頼朝に似てきているぜ。これは誉め言葉だ」……小ネタはさておき。
やがて承元2年(1208年)に次男・北条実泰(さねやす。当初は北条実義)を生み、ほか北条時尚(ときひさ。異説あり)や娘(一条実雅室)なども生んだと言われています。
義時が生きている間はこれと言った動きもありません。しかし貞応3年(1224年)6月に義時が急死(※病死とされるが、伊賀の方による毒殺説もあり)すると、兄弟の伊賀光宗と謀って行動を開始。
我が子の「嫡男」北条政村に北条の家督(鎌倉幕府執権職)を継がせ、娘婿の一条実雅(いちじょう さねまさ)を鎌倉殿に擁立せんと企みました。
……と尼御台・政子(演:小池栄子)が主張、先手を打って「謀叛」を未然に防ぎます。そして光宗と伊賀の方、そして一条実雅を流罪に処し、北条の家督は長庶子・北条泰時(演:坂口健太郎)に継がせました。この一連の騒動が後世に言う「伊賀氏の変」です。
ちなみに政村は不問に処され、後に第7代執権に就任。鎌倉幕府の重鎮として活躍しましたが、それはまた別の話し。
果たして伊豆に流された伊賀の方は貞応3年(1224年)12月24日に危篤となった知らせが鎌倉に入り、その後消息が途絶えたため、間もなく亡くなったのでしょう。
なお、北条泰時は本件について謀叛を否定。また『吾妻鏡』でも伊賀の方たちが謀叛を起こしたとはしておらず、単に権威の低下を恐れた政子らによる粛清?だったとする説もあります。
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終わりに
以上“のえ”こと伊賀の方について、その生涯をごくざっくりと紹介してきました。
果たして彼女は義時とどのように出会い、二人はどのようなドラマを繰り広げるのでしょうか。
「お帰りなさいませ」で結ばれた八重、「行ってらっしゃいませ」で別れた比奈。果たして“のえ”は、義時にどんな言葉を投げかけるのか、今から楽しみにしています。
※参考文献:
- 永井晋『鎌倉幕府の転換点「吾妻鏡」を読みなおす』日本放送出版協会、2000年12月
- 山本みなみ『史伝 北条義時』小学館、2021年12月
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