江戸のメディア王として名を馳せた蔦重こと蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう)の生涯を描く2025年NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華之夢噺~」。
江戸時代の中期に活躍した様々な人物が登場するので、今から楽しみにしています。今回はそんな一人・礒田湖龍斎(いそだ こりゅうさい)を紹介。果たしてどんな人物だったのでしょうか。
礒田湖龍斎の生涯
礒田湖龍斎は享保20年(1735年)から寛政2年(1790年)ごろまで生きた浮世絵師で、安永~天明期(1772~1789年)にかけて活躍します。
本姓は藤原氏、本名は礒田庄兵衛正勝(しょうべゑまさかつ)。元は土浦藩(茨城県土浦市。土屋家)の浪人でした。
江戸の両国橋広小路薬研堀(東京都中央区東日本橋)に住んでいたそうです。
一説には西村重長(にしむら しげなが)の門人として浮世絵師を志し、明和年間(1764~1772年)の後半に鈴木春広(はるひろ)または湖龍斎春広の雅号でデビューを果たしました。
湖龍斎とは霞ヶ浦(茨城県南東部)にちなんだものと言われ、浪人しても旧主を忘れがたかったのかも知れません。
はじめは鈴木春信(はるのぶ)に私淑しており、画風も春信の影響を強く受けていました。
しかし次第に独自の画風を確立、柱絵のほかあぶな絵や黄表紙など多くの作品を世に出しています。
天明2年(1782年)には絵師の名誉職である法橋(ほっきょう)となり、晩年には武江薬研堀隠士(ぶこうやげんぼりいんし)と名乗りました。
武江薬研堀隠士とは「武蔵国の江戸の薬研堀の隠居」を意味します。
礒田湖龍斎の没年ははっきりしませんが、寛政2年(1790年)ごろと考えられているようです。
礒田湖龍斎の主な作品
【版本挿絵】
- 籠耳斎『吟出川(噺本)』安永2年(1773年)刊行
- 田にし金魚『妓者呼子鳥(洒落本)』安永6年(1777年)刊行
- 花吸庵『役者手鑑(俳諧本)』安永8年(1779年)刊行
- 礒田湖龍斎『混雑倭艸画(絵本)』天明元年(1781年)刊行
【錦絵】
- 「風流やつし武者鑑」明和後期
- 「名鳥坐舗八景」安永3~4年(1774~1775年)ごろ
- 「雛形若菜の初模様」安永6年~天明2年(1777~1782年)ごろ
- 「今様五節句戯 七夕」時期不詳
- 「雛形若菜の初模様 がくた八らや内れん山」時期不詳
【柱絵】
- 「花魁と禿」時期不詳
- 「明烏」時期不詳
- 「見立釣狐」時期不詳
【肉筆画】
- 「千代尼画像」安永3年(1774年)
- 「羽根突き図」天明元年~天明3年(1781~1783年)ごろ
- 「秋野美人図」天明3年~天明6年(1783~1786年)ごろ
- 「遊女雛鶴道中図」安永6年~天明元年(1777~1781年)ごろ
- 「月下遊女舟遊図」安永6年~天明元年(1777~1781年)ごろ
終わりに
蔦重初期の錦絵、「雛形若菜初模様」を手がけた絵師
礒田湖龍斎(いそだ・こりゅうさい)
蔦重(横浜流星)が企画して、西村屋与八(西村まさ彦)と共に出版した「雛形若菜初模様」の絵師。吉原の遊女たちに新しいデザインの着物を着せて描いた雛形本の浮世絵版の先駆けとして、当時の女性たちの関心を集めることになる。
<鉄拳さんコメント>
大河ドラマは特に戦国ものが好きで良く観(み)ていました。あり得ないことですが、自分が出演できたらどうなるのか?と、よく想像をしていました。その大河から出演依頼をいただきとてもビックリしたとともに、こんな名誉なことはもう無いだろうと思い、出演を決めました。あと僕の役、礒田湖龍斎が絵師であることも、何か縁があるのかなと思いました。演技は自信がないですが、絵を描くのは得意なので、絵を描く姿の僕を見てもらいたいです。
横浜流星さんとは一度ご挨拶をさせていただいたのですが、礼儀正しく、そして何よりカッコよかったです。僕が帰るときも休憩中なのにわざわざご挨拶をしてくれました。ほとんどの方が初対面なので緊張します。ほかの方に迷惑をかけないように、できれば撮影は1人が良いです。でも皆さんとお話はしたい──。
僕は滑舌も悪いですし、演技も自信がないので、できれば絵を描くところをよく見ていただきたいと思っています。そのために僕は今、湖龍斎の浮世絵を練習中です。
今回は江戸中期に活躍した浮世絵師・礒田湖龍斎の生涯を駆け足でたどってきました。
NHK大河ドラマ「べらぼう」では、鉄拳がどんな礒田湖龍斎を演じてくれるのか、今から楽しみですね!
※参考文献:
- 小林忠 監修『別冊太陽 浮世絵師列伝』平凡社、2006年1月
- 国際浮世絵学会 編『浮世絵大事典』東京堂出版、2008年6月
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